持ち家は本当に必要なのか②

日本の住環境が世界水準のどの辺に位置しているのか?
建物の寿命の短さ、未だにオプション化される温熱環境を考えると先進国の中ではかなり下に位置していることは間違いない。
日本の建築そのものには世界の評価が高いのに、なぜ「家」の評価が低いのか?
その原因の一つに持ち家志向があるのでは無いでしょうか?

国策として「家」を商品化し、低利な融資を実現する為に住宅ローンの債権化で投資家から金をかき集める。しかも国が補償するという世界で一番安全な投機により、従来であれば家を所有するのではなく、賃貸に住んでいる層にも持ち家を促進する。
需要と供給の一見ウィンウィンな関係のように見えるが、実は適正価格を大きく下回る流通価格を実現する為に見栄えは良いが規格の低い住宅が量産される現実。

アパートの戸建てみたいな「家」を個人が持つより、高規格な賃貸を作ったほうが資産価値も高く、都市計画も街並みも整うというのは専門家の意見としては一致するところでしょう。

しかし、市場主義経済 では必ずしも理論だけでは進みません。
日本の場合は国策が「家」の商品化による経済推進ですから、そこに理念もなにも無い。

ヨーロッパを旅すると街区は整い、その街並みに感動して帰ってきます。
しかし、その多くはアパートメント。
賃貸にしても区分所有にしても高規格な建物に住んでいる。
区分所有は少数で、大抵は一軒まるごと資産家が所有しています。
これを一部の金持ちだけが利権を持っているじゃないかと感じる人も多いと思いますが、そうした資産家が建物を所有することのリスクを負っていることを忘れてはならない。
その反対に賃貸で借りている方は自由です。
老後の不安が社会保障で担保されているというのが前提ですが、物を所有しないもしくはシェアしあうというのはとても自由なことなのです。
持ち家という負担が無ければ違う所にお金を使うことが出来る。
一生ローンに縛られる日本人とバカンスを楽しむ西洋人の違いかなぁ。

寿命の短い日本の家では街区を作ることが難しく、結果として街そのものの価値も上げることが出来ません。
京都の様な歴史を財産に持っている街でも歴史的建造物という遺産に頼っているのが現実でしょう。

先日の講演会ではそのような低規格な戸建てではなく、高規格集合住宅を作ることで問題解決を図ろうという流れでしたが、実際には一人の建築家によるシステムで世の中が変わるとは思えない。

需要と供給の正しいウィンウィンな関係作りはどうしたら良いのか?
ドイツで自然住宅やエコ住宅を見て回りましたが、シックハウス問題が日本でも言われ始めた頃に訪れた集合住宅の話が案外参考になるのかもしれません。
郊外に建てられたその集合住宅に小さい子どもを持つ入居希望者が殺到していていましたが、子育てに安全を求めるのは親として世界共通です。
集合住宅にすることで自然を残し、子ども達を安全に遊ばせることが出来るランドスケープやその自然をどの部屋からも共有できるデザイン、使用する部材には徹底的に安全が確認された自然素材のみを利用していました。
もちろん日本の建築基準法とは違いますので、同じような建物を日本で作れるかどうかは判りませんが、ずいぶん有機的なデザインの集合住宅に仕上がっていました。

ところでこの集合住宅を供給しているのは国や地方公共団体ではなく、ある一企業なのです。
それは生命保険会社。
保険会社にとって、被保険者であるお客さんが健康で長生きしてくれることは、自分たちの会社の利益に繋がるという事ですね。
そこで安全で高規格な住宅を提供する。
これが評価されて、また会社の売り上げに貢献するというみごとなウィンウィン関係を作り上げていました。

ヨーロッパの合理主義ってこういうことですよね。
これと比べると、日本のは誰と誰がウィンウィンなのか悩まされてしまいます。
日本人っていつになったら住宅ローンの呪縛から逃れ、文化度の高い生活が出来るようになるのでしょう?

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