持ち家は本当に必要なのか①

先週から新潟市美術館で日本建築写真家協会主催の写真展が開催されています。
それに合わせて初日は万代市民会館におきまして山本理顕さんの記念講演が行われました。

山本理顕さんの新潟での作品と言うと「ナミックス・テクノコア」 が有名です。
構造美は見るものがありますが、新潟の多湿の冬は結露しまくりと本当に気候を調査して作ったのかと思えるところがいまひとつ私の中で消化しきれない建築。

その山本氏の今回の講演テーマは「地域社会圏」という考え方

概論的には理解でき、共感も持てたけど、やっぱり最後は?だったなぁ。

共鳴できたのは日本の持ち家の考え方についてです。
日本の家の在り方はいろいろなところで問題視されていますが、今回の切り口は政策からみた日本の家というところが面白かった。
「家」というのは個人消費的に見ると最大級の支出を必要とするところです。
「家」は持ち家が良いのか、賃貸が良いのかは誰でも悩む所でしょう。
賃貸は幾ら払っても自分のものにはならないけれど、持ち家なら最後は自分の財産となるので老後も安心というのが一般的な考え方でしょうか?
ところが実際のことを考えると、税制的にも日本の家の財産的価値は世界のどの国と比べても信じられないほど早く低下していきます。
メンテナンスをするということを学ぶことも無く、 それ以前に工業化されてしまい手が出せない住宅ばかりで、現実的には建て替えを余儀なくされ、結局は一生借金を払い続けるのですから、賃貸と大して変わらない。

今回の大震災で問題になったのは津波で流され、家は無くなってしまったけれどもローンだけ残ってしまったという問題。
賃貸住宅に住んでいたら、家財は失っても建物のローンは関係なかったでしょう。

ここで山本氏が問題視するのが家は個人のものか国の財産かというところです。
日本においては「家」はあくまでも個人の財産と言う位置づけです。
ただ、事情があって家を持てない人には日本国憲法第14条の平等権のもとにセーフティネットとしての公団住宅の供給や住宅供給公社、住宅金融公庫がありました。

しかし、小泉政権下の構造改革の名の下に廃止、民間への移行が行われることになります。
これが何を意味するかというと国は個人消費である「家」については原則市場主義に委ねるということ。
結果、格差社会が生まれることになりますが、それも必要悪と一括した。

いつしか「家」は造るものではなく買うものという認識になりましたが、この時期がターニングポイントだったのでしょう。
小泉政権以前からも「家」を造って一人前 みたいな風潮がありましたが、もともとは成功を収めて財を成して御殿を造るということ。
昔はお金を貯めて造るのが当たり前、それが住宅金融公庫により低利で 住宅ローンを組めるようになってから、人生の大半の収入を先取りして「家」を手に入れるようになりました。
その住宅金融公庫を廃止して民間銀行が国の補償の元、低利な貸し出しをすることを可能にしたのが住宅金融支援機構です。
ここで何を行っているかと言えば住宅ローンの債権化。
いわゆるサブプライムローンをリーマンならぬ、国が行っているということ。
今回の震災で本当ならばリーマンショックならぬジャパンショックで投資家が大打撃を受けるところですが、国がやっているから国から補償される。
復興財源がこうした投資家救済、銀行救済に回ると言うのはなんとも遣りきれません。

とにかく日本政府の位置づけ的に「家」は文化ではなく商品であるということです。

国がやっている多くの施策は福祉憲法の名の下に いかに持ち家比率を高めるかです。

人口が減少しているこの国においてすでに住宅ストックは世帯数をより多いのですが、それでもなお壊して作るという経済活動を優先させる。

「○○万で家が建つ 」とか「適正価格」と家賃並みの支払いで供給できる「家」が現在の売れ筋商品となっていますが、それらを後押しするのが国の政策ですから業者はそれに乗るしかないでしょう。

しかし、それはこの国の将来を長いスパンで見た政策なのか?
人口が減少し、高齢比率が高まるこの国で使い捨てのような商品で国民所得を浪費させ続ける。国民を見ているというより企業よりの政策としか思えません。

持ち家は本当に必要なのか?

実はその根底にあるのは「将来の不安」では無いでしょうか?
国の政策がきちんとしていて老後の不安がなければ、別に持ち家にこだわり、固定資産税払う必要も無いんですよね。

商品の位置づけをされた「家」はいかに利益をそこから生んでくれるかが重要。
低価格で高利益を追求していけば、性能面は落とさざるを得ない。
私もその辺は大変危惧しているところですねぇ。

やはり「家」を買うという発想ではなく、造ることに一緒に悩みたい。

住宅供給は国、地方自治体が責任をもって先導するのが重要であると唱えるのが山本氏なのですが、 どうも話を聴いていくと 一個の建物でそれを解決しようとするのだなぁ。

それをシステム化したのが「地域住宅圏」ということなのですが、なまじっか行政に力があるとそういう発想になっていくのかなぁ?
自己完結しちゃえば簡単だものね。
何事もゆるめに考える私にはどうもそこんところが馴染めないのでした。

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