自己嫌悪

今日は朝から雨模様ですが、天気と一緒で私の心も晴れません。
来春は小学校1年生になる夏樹ですが、教育に関してはほぼほったらかしの6年間でした。
広い意味での教育としては世界を旅したり、様々な体験をさせてきたつもりですが、いわゆるお勉強の類はまったく野放し状態で、本人の好きなままにやらせています。
こどもチャレンジなどの通信教育もひよこクラブの続きで最初のころは本人が希望するのでやっていましたが、それで別に勉強するわけでもなく、付いてくるシールを貼ったり、教材をおもちゃ変わりに使ったりする程度でゴミのように増えてしまうだけなので止めてしまった。
止めても本人も気にする様子も無いので、たぶんその程度だったのでしょう。

昨日は保育園のかるた大会。
保育園最後の大会で、来月県大会へ出場する子を決めるための園内選抜です。
ブロック遊びは大好きな夏樹もかるた大会はまるで興味がない。
今までも唯一取れたのは「飛んで火にいる夏の虫」ピンポイントで、たまに偶然他の札が取れる程度でした。
ところが昨日はとうとう一枚も取れなかったといいます。
これはもう、親としてショック。
だって、それ一枚をずっと見続けて機会を伺っていれば、最低それぐらい取れるでしょう。
それも取れないというのは周りの子のレベルが上がったということ。
年長さんですから、当然といえば当然です。

これはさすがに本人もがっくりしたみたいでしたが、そういえば先日のプールの課外授業でも周りのお母さん方が塾の話をしていたことを思い出しました。
他の親御さんはきっと子供達にいろいろな習い事をさせているのだろうなぁ。

私自身、実は何の習い事もせずここに至って居るものですから、それほど子供を習い事させなきゃぁという気持ちが強くありませんでした。
プールが好きなので、そういうスクールに入れようかと思った位でしょうか?
自転車乗りも保育園の帰りに私と特訓、最近はひらがなの練習をちょっと一緒にやっていますが、それで大丈夫?
ふっと不安がよぎります。
こんなんで小学校へ行って、わが子が落ち溢れて仕舞うのではないかという焦りです。

今朝、時計の読み方をちょっと試してみました。
普段話しているときは何となく時間がわかっているようでしたが、実際時計の針が何を示しているのか?時間の概念というものは全く分かっていない。
最初は「短い針が時間で長い針が分を示しているんだよ」と教えてみましたが、そもそも時計の時間が何故12時間を表しており、分が60分を表しているということが理解出来ていませんから、それは判らない。
頭ごなしにそういうものだと教えるのはどうかと思ったので、地球儀をひっぱりだして、灯りが当たっているところは昼まで、反対がわは夜であることを教えます。
その後、地球が自転していることを教えて、その一回転が1日であり24時間と説明。
1日の半分が12時間で時計はその時間を示している機械である。
短い針が2回転すると1日。
1時間は長い針が1回転する時間でそれは60分であると延々教えます。
「時計がないと太陽を見て大体何時かなぁって想像しなければならないけど、時計があればちゃんと待ち合わせできるから便利だろ?」
ここまでの説明に頷きながら聞いている夏樹。
「さぁ、では今は何時を示している?」
で結局判らず振り出しに戻る。
「1日は何時間だっけ?」「わかんない」
「1時間は何分?」「わかんない」
もの凄い虚脱感で、ついイラっとしてしまった。
夏樹には親の苛立ちはしっかり伝わり、怯えます。
自分としては時間の概念から教えたつもりですが、伝わっていないのは説明が悪いから。
でもちゃんと頷きながら聞いていたじゃない。
判らないことは全然恥じることではなく、判らないことを放置することはよくないこと。
そう教え続けていたのに、結局親の顔色を伺って合わせていた。
今まで6年間、何をやってきたんだろう?
これで小学校へ上がって大丈夫?
知らない間にどんどん教育パパになっていく自分が居ました。
まさか私が教育パパ?
でも不安がそうさせるんですね。

今日は保育園のミニ遠足で、夏樹は楽しみにしていた日です。
でもその直前までこんなことをやっていました。
「保育園のバスは何時にでるの?」
「9時」
「じゃあ、あと何分で出るのかな?」
「わかんない」
「じゃぁ遠足行けないね。何時に家を出ればよいかわからないもの」

楽しみにしていた遠足に行けないという親に泣き顔になる夏樹。
「だって待ち合わせの時間がわかんなきゃ、行けないでしょ。」
「いやだぁ!」

夏樹を保育園に送り届け、先生のところにたどり着いたときに緊張がとれたのか泣き顔になる夏樹を見て、何やっているのだろうとすごい自己嫌悪に陥った。
夏樹の楽しみにしていたことまで駆引きに使って時間を教えて何になる?

結局自分たちがこの6年間で理解させるべきことを何も教えて来なかった。
消化しているかどうかも気にせず、どんどんいろんな情報を与え続けて消化不良を起こしていたのかもしれません。
人を教えるのは本当に難しいです。
小学校に上がる前でこれですから。
知らない間に何となく親に話を合わせる術を身につけてしまった夏樹ともう一度腹の底から話し合わないといけないと思いました。
興味がないならそれはそれで構いませんが、知らないことをほったらかしにしてしまうことだけはして欲しくないと思うのです。

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