案外知られていない窓枠の意味

我が家の初夏の衣替えは昨日の窓ガラスの清掃と網戸の取り付けで終わった。
これから盛夏までは窓を開放する生活となるが、盛夏になると夜間開放し、日中はむしろ窓を閉め、直射日光が入らないようにカーテンを閉める。
窓の調整により室内気候をコントロールするのだ。
ところで半年間のガラスの汚れは半端ではなかった。
それをぴかぴかに磨き上げると、外の風景がキラキラと輝いて見えた。
我が家の輸入木製ダブルハング窓はクリーニングポジションを持っており、障子を室内側に倒せる為クリーニングしやすいが、浴室に取り付けてある国産樹脂性ダブルハング窓は掃除するのを拒むかのような造りで閉口した。
同じく樹脂製引き違い戸もそうだ。内側からでは微妙に外を拭くのに手が届かない。
我が家はそれを見越して1階にしか設置していないので、外から脚立を利用して掃除が出来るのでなんとかなったが、それにしてもあまりにメンテナンスに対して配慮が無い。
窓だけではない、日本の建築におけるすべての部材がメンテナンスを拒絶しているようだ。
メンテナンスフリーという言葉をメーカー、工務店は挙って使う。日々忙しい余裕の無い施主が喜ぶからだ。
しかし、本当にメンテナンスフリーということはあるのだろうか?
単純にメンテナンスしないだけではないだろうか?メンテナンスしなくても10年や15年くらいは性能を保ちますという事でしかない。
その間に日々薄汚れ、朽ちていくのは自然の摂理である。
薄汚れた我が家には愛着は薄れていくだろうし、ちょうどその頃が日本人の建替えを考え始める頃である。
買ってからあまり手をかけず、壊れたら新しいのに買い換えるというのが日本の住宅の現状だろう。
私が設計事務所を設立した年に希望者を募って北米を旅したことがある。
当時は輸入住宅ブームだったが、私はアンチ輸入住宅派だ。
しかし、何故欧米の建築は長命なのか興味深いし、学ぶものも多い。
そこで日本の家を作るために敢て敵地に勉強に行くツアーを企画したのである。
バンクーバー、ビクトリアの住宅街を歩いた時、家主が休日を利用して家のペンキ塗りをしていた。
白い窓枠に純白色のペンキを重ね塗る。
初夏の日差しに輝いて、またきれいに手を施された庭の緑と対比してとても美しかった。
ふと周りを見渡すと、街全体がそんな雰囲気だ。
別に新しい街ではない。古い家は100年以上経っているであろう。
我が家を作り、その記憶から私も毎年純白色のペンキを塗るようになった。
ところで窓枠の意味を知っているだろうか?
業者を含め装飾的な価値しか見出していない人が多いのには驚く。
部材は経年変化により必ず壊れる運命にある。
それは窓も同様だ。
窓の場合は雨水がたまりやすかったり、駆動する部分があったりで外壁よりも先に壊れる可能性は大きい。
また、家の外壁部材としては最も弱い部分でもある。
昔は単板ガラスが一般的だったが、最近は複層ガラスを用いることが多くなった。
窓面からの放熱を防ぎ省エネ化するためだが、昔の家はどうしたらよいものか?
窓を交換するのは結構厄介な作業である。
外壁を壊さないといけないからだ。
窓を交換する時期に同じ外壁が流通しているとは思えないから、結局外壁面すべての改修が必要となり、無駄にお金がかかってしまうことになる。
ところが窓枠があったらどうだろう?
窓枠で外壁と窓は縁が切れているので、窓枠を外せば外壁を壊さなくても窓の交換は可能である。(室内側も同様に窓額縁を外せば内壁を傷めないで済む)
このように窓枠は窓という部材をメンテナンス、交換等をするための必須のアイテムとなっている。
窓枠を取り付けてある家というのはメンテナンスすることを前提として考えられた家ということだ。
このことを考えても海外で見る住宅の多くにサッシを取り囲むように窓枠があり、日本のそれには無いということがわかるだろう。
つまり一方は長命住宅であり、日本は短命。だから街並みも作ることもできないのだ。
窓枠の機能についてすら語れない設計者や建築業者に家を発注する施主が哀れである。
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