紅葉

昨日はとても良い天気だったので、一人暮らしとなった母親を昼から紅葉狩りに連れて行った。
こうして時間を調整できるのは小規模事業者の特権である。
もともとお嬢様育ちの母は自転車にも乗れず、もちろん自動車免許など無く、公共交通機関以外の移動手段を持たない。
また、長いこと父親の介護漬けだったので、特に自分の趣味というのも無く、父が他界してからというものいきなり時間が出来たが、その使い道が無い。
一緒の生活をしていないものの、母の生活が気がかりである。
自分からどんどん外に出て行くようなら、残された父の僅かばかりの資産を食いつぶしてでも、自分のために遊んで欲しいと思うが、どうもそんな様子が無い。
外出するというのは私たち夫婦が夏樹をダシして誘い出すくらいが精々なのである。
昨日も夏樹をホスト代わりに保育園を休ませ、午前中は私も仕事の打合せがあったので夏樹の面倒をみてもらい、昼近くから下田へ紅葉を見に車を走らせた。
平日だというのに意外なほどの混みようだった。
若い人は会社があるから当然の事ながらせっかくの天気を紅葉狩りに使うことなど出来ず、年金生活をしている元気なお年寄りばかりだったが、趣味のカメラなどをしながら晩秋の日を楽しんでいた。
帰りはいつもの「いい湯らてい」で温泉に浸かり、のんびりしてきた。
夕方仕事帰りの妻と合流し、今度はライトアップされている弥彦の紅葉谷を見てきた。
こちらも今週末ぐらいが見ごろだろうが、色が次第に紅く変化する紅葉のライトに映し出された様子が綺麗だった。
多分、今年一番の紅葉狩りの一日だったかもしれない。
 
さて、今日は新潟ユニゾンプラザで地域包括及び地方公共団体向けの福祉用具・住宅改修講習会の講師を務めてきた。
天気は昨日とは打って変わり、重そうな雲が立ち込め、朝から雨が降る天気だった。
会場へ向かう道中も紅葉した木々を見ることが出来たが、昨日のそれとは違い、暗く落ち込んだ色であった。
木々をよく人生に例え、青年期は瑞々しい若葉、壮年期を濃い緑の葉、そして熟年期を紅葉などと言う。
しかし、そうした木々の葉もそれ自身の美しさを引き出すのは太陽の陽の関るところが大きい。
そして人間もまた人一人では輝くことは出来ず、様々な関りを持って光り輝くのだと思う。
改正介護保険以降、どうも予防的な住宅改修が減少したように感じる。
感じるというのは数字的な裏づけをどこにも見出すことが出来ないからである。
厚労省のHPを見ても、県に問い合わせても住宅改修の実態を把握した資料が無いのだ。
その理由として考えられるのが、住宅改修というサービスの位置づけがその他の項目に分類されたからだと思う。
福祉用具などは居宅サービスとして県もしくは地方公共団体が行うべきものとされているが、今まで車の両輪と考えてきた住宅改修は現介護保険制度ではその他なのだ。
今日講義の対象である地域包括の担当者に住宅改修が自分たちの行うべきサービスであるという認識が薄れている。
住宅改修が本当に効果的に思われる要支援の人たちにむけての提案がほとんどなされていないのは問題だ。
 
紅葉はまわりがその環境をつくりだしてあげれば、人々に感動を与える美しさを持つ。
母を見ていて、一人で頑張れではなく、しっかりサポートすることが大切だと感じた。
そしてやがてその母も地域包括のお世話になるのかもしれないが、彼らには紅葉を照らす太陽みたいな存在であって欲しいと切に願う。
 
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