生活の質

昨日はユニゾンプラザにて地域包括向け住宅改修研修会の後半を行う。
今回は前半後半に分割され、しかも一コマが2時間と短い為、講義も難しかった。
前半では総論、後半では各論とした。
せめて二日連続なら関連付けて講義が出来るが、何週間も間を空けてはどうにもならない。
そこで割り切って、前半では対象となる人の生活の質について考察することにした。
住宅改修という言葉はなんとなく対処療法的で好きではない。
担当者のレベルが低いと単純に食事が取れる、移動が出来る、排泄が出来る、入浴が出来るといったADL(日常生活動作)のみに留まってしまう。
しかし、人間が人間であると言うことはそれだけでは成り立つものではないだろう。
ADLを満たすということは最低限必要なことではあるが、それだけでは生きているに過ぎず、それが目的では困る。
ADLが自立もしくは見守りで可能となった先に生活者としてどういう人生を送ってもらうのか、住宅改修はそれを行う為の単なる手段なのだ。
また、高齢者、障害者というカテゴリーはある側面からフィルターにかけて振り分けたに過ぎず、生活者という観点では健常者と何ら変わるところは無い。
私としては、私の事務所で行う設計の中で、クライアントとその家族の生活、取り巻く環境などをどういう風に紡いで行ったかということを示すことで、建物は単なる箱を作ることではなく、クライアントの生活を作ることであると説明したかった。
しかし、実際のところ、どこまで伝わっていたのか疑問だ。
まあ、受け取り方は様々であることは自然なので一向に構わない。
しかし、アンケートを読むと好意的な意見もあるが、「住宅改修のことが聞きたかったのに、新築住宅ばかりで自慢話を聞かされた」という意見もあった。
どうもこちらの伝えたかったことが伝わっていない。
伝え方が悪いのだと反省するしかないが、どうやったら「いつまでも生活者でいること」という視点の重要性を伝えることが出来るのだろう。
一般住宅でも設計業務はいろんなことを考えて、漸く形になる。
ゼロからはじめてこれなのだから、既存住宅からはじめるのは大変なのだよ。ということが判ってもらえないのは残念である。
新築で金さえかければ何でもできるという短絡的な結論をもたれてしまうのは悲しいことだ。
来年はもう少し講義のあり方を見直してみようと思う。
 
さて、ところで何で今回は2時間と言う短い枠になったのかと主催者に問いかけたところ、3時に終わらないと事務所に戻り定時に上がれないからという回答だった。
毎回終了時に出してもらうアンケートでそういう要求が多いらしい。
自分の仕事は5時までであり、5時には退庁したいとなると、2時間の移動時間を見ておけば高速利用で県内いたるところから参加可能であるということらしい。
ああ、そういうことですか。
せめて、今回の研修で「生活の質」というキーワードだけは脳裏に焼き付けておいてね。
 
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