サロン

インターネットのフリー百科事典「ウィキペディア」によると「サロン」とは
 
フランス語でで宮廷や貴族の邸宅を舞台にした社交界をサロンと呼んだ。主人(女主人である場合も多い)が、文化人、学者、作家らを招いて、知的な会話を楽しむ場であった。
 
とあります。
近年では人が集まっていろんな会話を楽しむ場という意味合いが多いようです。
 
私が参加している福祉住環境系ボランティアの役員会が先日行われ、このネットワークは「サロン」であり、これからも変わらないという意見統一が成されました。
創立者の一人でもある私にしてみると、当初実践集団としてその検証の場としてのネットワークだったものですから、随分方向性が変わってきたなという感じがします。
しかし、今から思うと福祉住環境の実践をしていたのは当時からごく一部であり、多くの人はそこに「サロン」を求めていたのかもしれません。
私が会長職を退き、一層ネットワークの「サロン」的要素は強まっただけのようです。
 
ここしばらくネットワークの方向性についてそれでよいのかと問題提議してきましたが、散々議論を尽くし、私と現執行部とのズレが鮮明になりました。
それはどちらかというと私のほうがネットワークにとって場違いであったということ。
私の求めるところはどうやらこのネットワークの他にあるらしい。
もっとも私自身「サロン」を否定するものではありません。
私が役員をさせていただいている「日本建築家協会(JIA)」もサロン的な要素が大きい。
サロンに重要なのは参加者のレベルです。
JIAのメンバーには誰もがなれるものではなく、実践とそれに対する評価が伴っていないといけません。
つまりウィキペディアに書いてあるサロンに近く、もともとJIAは設立当初から建築家相互の交流を目的に作られています。
実践者のサロンは参加していても常に啓蒙される部分も多く、とても新鮮で楽しいものです。
 
一方、福祉住環境系ボランティアのサロン。
どうも近年のゆるい意味合いでのサロンになっているのではないのかなぁ?
スキルが落ちないように福祉住環境コーディネーター検定の問題を例会で解いているっていう話も出ていたようですが、自動車の免許で言えば、いつまで教習所に通っているのだろう?
道路に出て運転した方がよっぽど教習所のコースより勉強になりますがねぇ。
たまにはプロドライバーの話を聞くのも為にはなるとは思いますが、そう感じるのも路上での実践があるからでしょう。
ネットワークが「サロン」を目指すならそれでも良いけど、お互いが刺激しあえるメンバーが参加して啓蒙されるようなサロンになって欲しいと思います。
徐々にでも構いませんから...
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