断捨離(だんしゃり)

昨年末から家の大掃除を展開しています。
4月から小学校に進学する夏樹の部屋をつくるため。
子供部屋に押し込めてしまおうということではありません。
勉強は今まで通り、ダイニングやリビングでやらせるつもりですし、多分、今まで通り親子3人いつも同じ部屋に居るのだと思います。
2階の部屋はかつての私の仕事部屋。
現在はリビングの一角にデスクを置いて仕事をしていますので、2階の部屋は資料室と言う名の物置部屋でした。
学生やクライアントに常々申しておりますが、収納は大きければそれだけ物が溜まり、奥に片付けた物は再び日の目を見ない不良在庫化してしまいます。
資料室となった瞬間から2階の部屋は我が家のバミューダトライアングル化してしまいました。
一方で夏樹の持ち物もどんどん増殖を続けます。
人間はほっておくとどれだけ物が増えるのか?
僅か6歳の息子の持ち物を見ると客観的に判りますね。
それらが寝室、リビングと侵食し始め、とうとう和室もおもちゃでいっぱいになりました。
週一回の「日本人になる日」もままなりません。
そこで夏樹の私物を置き、そこでは自由にプラレールやレゴで街を作れる空間を作ってやろうと考えたわけです。

資料室にはもう使用していないOA機器やプロッタ、青焼きの機械といった大型機器や今までの私の活動に関わる書類、資料、建築系の雑誌や会報、もう古くて見る事もないカタログなどが乱雑に放置しておりました。
機器類はまだ使えるものもありましたが、最近の建築はデータでのやり取りで済むことが多く、紙焼きで提出することは殆どありません。
またプレゼンもA3までで何とかなり、今後利用する機会は殆ど無いでしょう。
仮にそんな機会が出てもアウトソーシングで対応出来ます。
そこで大きく場所をとっていたそれらを昨年末、廃品回収へ。
パレットで2回運びましたね。
建築系の書籍は一応屋根裏収納へ納めました。
旅で取り溜めたスライドも残しましたが、10年来関わってきたネットワーク関係の資料は今回全て廃棄処分としました。
今までは捨てようと見ると、結局捨てられずに残しておいた紙類です。
出るは出るは、燃えるゴミの大袋何枚出したでしょう。
ゴミステーションのカゴ1つは完全に我が家のゴミで埋まるほど。
燃えないゴミも回収日に間に合わず年を越して昨日、こちらもカゴ一つ分ようやく廃棄できました。

そんな話を昨日、巻の学校で同じく講師をしている友人に話したら、
「それって断捨離だね。」
だんしゃり?だんじりなら知ってるけどね。
で、早速帰って調べてみた。

ヨガの「断業」、「捨行」、「離行」という考え方を応用、不要なモノを断ち、捨てることで、モノへの執着から離れ、身軽で快適な生活を手に入れようというものだそうです。

普通の整理整頓では無いのね。
どちらかというと精神的な整理術。
確かに人間、生きているだけしがらみが増えていきます。
人との出会いは多くて良いのですが、その結果出来るしがらみに縛られたり、そこに依存し始めると捨てられない物が増えてくる。

昨年は10年所属してきた団体を退会したり、その結果として県の事業からも更迭されたようなものでした。
どちらも立ち上げから関わっており、私自身がそこへの帰属意識が大きかった。
それを断ち切ったら、今までの資料がゴミに変わりました。
自分自身も退会したことで、むしろ冷静に客観的に自分が関わってきた問題を見る事が出来るようなれましたね。

リセットという言葉は嫌いです。
やはり人間は記憶の継続で生きるものだと思います。
でもあまりに過去や現状に囚われていると次の一歩を踏み出せなかったり、進むべき方向を見失う。

裸の自分をきちんと認識するために断捨離は現代人にとって必要な修行なのかもしれません。

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