同じ頂を見ていても...

昨日10年間関わってきた福祉住環境系ボランティア団体の顧問を辞任してきました。
設立からかかわり、初代会長として半分を過ごし、その後は顧問という形で参加して来ましたが、ここで一応の区切りとしたいと思います。
私と会との温度差がどうにも埋める事が出来なかったというのが理由です。
福祉住環境整備のプロ集団として先頭集団を目指すという目標設定がシンプルな言葉として示す事が出来ないほど、様々な想いの人が参加する雑多な会になってしまった。
山登りはいろんなところで例えに使われますが、ネットワークも一緒。
福祉住環境整備による「誰もがいつまでも生活者でいつづけること」の出来る社会の達成が目的であり、目指すべき山頂です。
そこのところはみんな一緒だよと言われますが、頂を目指すルートは様々です。
初心者でも安全に登れるルートから、アイガー北壁のように登る事を拒んでいるルートもあるでしょう。
 
ウィンパーという登山家が言いました。
山頂に立ち、その眺望を目の当たりにしたときの感動はすばらしい。
しかし、その満足の次には大いなる不満が起こる。
眺望だけ楽しもうとしたら、それは飛行機の窓から下界を見たときと何も変わらないだろう。
登頂したということは、眺望だけではなく、他に自分の中に大きな意味があり、
その意味が感じ取れれば、次の新たな目標が生まれるのだ。
 
とても理屈っぽい人として有名なウィンパーらしい言葉ですが、一流の登山家とは大体そんな気持ちでいくつもの登山ルートを開拓し、踏破しつづけるのでしょう。
そしてその過程の中で失敗し、またいろんな技術が生まれた事と思います。
 
同じ方向を見ているという団体ですが、その分野で先頭集団を目指すというのは私の中ではウィンパーの言葉を引用したとおりです。
ハイキング気分で単に山頂を目指すだけでは専門家集団とはいえないと思います。
ネットワークの中で専門家はどんどん困難なルートに挑み、技術を高める。それを明確に会の目標とすることが出来ないのは、クライアントに失礼ではないのか?
会員がみんな仲良く山頂を目指しましょうというのが会の目的であるとしたらそれはあまりに内側を見すぎていると思います。
まるでブームの中高年登山のよう。
高い技術の蓄積でこそ素人を安全に山頂まで導く事ができる。
その信念の元、単独登頂を模索しようという結論に達したという事です。
私は熟練したシェルパーになりたいから。
もちろん、登山を一人で行うのは危険です。
そこのところは難しい組織化することなく、個人のつながりを大切にやっていきたいと思います。
 
賛同いただける方はぜひ一緒に過酷な頂を目指していただけないでしょうか。
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