母の日

今日は母の日だ。
母の日の起源は古代ギリシャだそうだ。
その後17世紀にイギリスで復活祭(イースター)の40日前の日曜日を「Mothering Sunday」と決め、家から離れている人が帰郷して母と過ごす里帰りの日とし、20世紀に入りアメリカ大統領ウィルソンが5月の第二日曜日を母の日と制定したとのこと。
カーネーションはというと、十字架にかけられたキリストに聖母マリアが涙したあとに咲いた花だからで、カーネーションの赤はキリストの血の色だそうだ。
バレンタインデーみたいに日本の菓子屋が勝手にチョコレートって決めたわけではないらしい。
 
母の日は両家の親に毎年カーネーションを送っているが、今年は妻にも夏樹の名前で送った。
実は1ヶ月も前からいろいろ企てていたのだ。
妻がカーネーションを送られるのは始めての体験だ。
おそらく送ることは考えても送られることを意識したことはないだろう。
しかし、立派に母である。
やはり始めてのカーネーションはそれなりに感動的にしてやりたい。
私の花を贈るときの哲学は「豪華」か「清楚」だ。中途半端はいけない。
せこい花束じゃなく、どーんと豪華にバラの花とか、一輪のだけさりげなくがカッコいい。
 
最近、デスクが埋まるほどのバラの花を部下の秘書にやってセクハラで訴えられた某自動車メーカーの海外工場の社長が居たが、状況判断は適切に行わなければならない。この場合は清楚に1輪のバラの方が訴えられることは無かったろう。
 
今回は30本のスプレーカーネーションを送ることにした。
スプレーカーネーションというのは1本の茎に花をいくつもつけるタイプのカーネーションだ。
だから100近いカーネーションの花束ということになる。
これはちょっと圧倒的でしょ。
送り主は夏樹でこの金曜日に職場に届けさせた。
夏樹の母としての母性をどんな風に刺激するか、わくわくしながら注文した。
1ヶ月、この話題に触れないことが結構辛いものであった。
お昼に「びっくりしたよ」と電話があった。
妻も喜んでくれたようだ。まずは作戦成功だ。
 
夜、高速バスで妻は大きな花束(正確にはボックスに入っていた)を抱えて帰ってきた。
その日は私も夜に会合が入っていたので、夏樹は保育園から帰りそのまま実家に預かってもらい、会合を終えた足で夏樹をピックアップし、妻を迎えに行った。だから保育園から持ち帰ったディバックは妻と家に戻ってから初めて開けた。
中には夏樹の作った母の日のカードが入っていて、お便り帳には夏樹が指に絵の具をつけてカーネーションの絵を描いたと記してあった。
 
いやー完敗である。
100の豪華なカーネーションの花束は完全に素朴な1輪の花の絵に霞んでしまった。
妻の心を捉えたのはやはり「清楚」であった。
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