立夏に思う

毎年、5月6日前後を立夏と言う。
ちょうど春分と夏至の中間で、これから立秋までを十二節気では夏という。
田んぼでは蛙が鳴き始める頃だ。
昨日は全国的に晴天に恵まれ、気温も26度くらいの夏日だった。
GWは家のメンテナンスを出来なかったので、いつものプールをキャンセルして家の窓拭きを始めた。
半年なにもしていなかった窓はよごれが酷かったが、ピカピカに磨き上げた。
せっかくだったので屋根裏部屋から網戸を出し、窓に取り付けた。
我が家も夏モードである。
こうして我が家は衣替えを行うのだが、大抵の場合、年中着のままの家が多いのは何故だろう?
コラムでも何度か書いているが、本当に網戸をつけっぱなしの家が多いのには驚く。
網戸が必要な時期は限定されていると思われるが雪が降っても網戸は外されない。
人間が衣替えをするように家も夏と冬では住み様が違うはずだ。
年中同じというのはどういうことだろう?
一つに考えられるのは空調だ。
設備に頼る家は結局のところ外部との接点を断ち切った設計になっている。
暑ければ窓を開けるというのは極めて自然な行為だが、現代人はすぐエアコンのスイッチに手を伸ばす。
寒いときにファンヒーターのスイッチを入れるのと一緒だ。
我が家はプログラムサーモスタットにより暖房は自動的に入るので、寒いからスイッチを入れるという行動はとらない。
全館レベルで温熱環境を考えると言うのは重要である。
寒いからといってスイッチを入れないという感覚は夏にも当てはまる。
暑いからと言ってエアコンのスイッチを入れることは無いが、暑ければ当たり前に窓を開ける。
寒ければ服を重ね着するのと一緒で極めてアナログ的な感覚である。
窓を開ければ夏は虫が入ってくるから網戸の用意をしなければならない。
冬は日光を入れたいので網戸は無いほうがよい。
だから虫の出始める頃、網戸をつけるのだ。
温熱環境を語るとやたら設備的な話をする設計者が多いが、もっと五感を使うアナログ的な発想を住み手に刷り込んだほうが良い。
それにはいらぬスイッチをつけないことと、住みやすいように家を衣替えさせることを伝えることだ。
昔は当たり前にしていたことだ。
日本の車と欧州車を比べると日本車のスイッチの多さに驚くが、それは車だけではなく家にも当てはまる。
性能として必要な換気とか暖房は住み手に選択させなくても勝手に制御したら良い。
そうすればもっと人は感性で生活できるかもしれない。
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