秋葉原無差別殺人に思う

連日ワイドショーでは秋葉原無差別犯の人間性をクローズアップしている。
勝手に犯人の精神分析をしているのが変だが、視聴率が高くなるのだろう。
犯人は人間的に小粒で劣等感だらけだが、追い込まれ逃げ場を失うと、他人にその被害者意識を向けて相対的に感情を保とうとする。
まったく自己中心的で最低なヤツだが、案外、そんなヤツは回りに一人くらいは居そうである。
偏差値で振り分けられた世代は物事を絶対値ではなく相対値で判断しがちだ。
人よりもなんて尺度は大した意味を持たないが、それに縛られて生きる。
縛られるのがいやなら、社会から隔絶すればよいが、それも怖い。
人間的に未熟なのに身体だけは大人というのは現代社会そのものかもしれない。
 
電車男で若干好感度を上げたオタクだが、この事件で地に堕ちた。
オタク文化と持て囃していたマスコミも急速にトーンダウンすることだろう。
やっぱりオタクはオタクだということが露呈した。
はやくオタクを卒業して社会復帰するか、社会から隔絶した進展地を求めるほうが良いだろう。
中途半端に社会に許されながらではなく、しっかりと独立するべきである。
 
それにしても東京のような人口密度の高いところはリスクも高い。
今回刺殺された被害者がB型肝炎に感染していた。
同じナイフで刺されたり、手当てをしたときに傷があったりした人の感染率は高い。
これがHIVだったら?
善意も自己防衛を考えないと、どんな人が隣に居るのかわからないのが都会だ。
リスクマネージメントをきちんと子供に教えなければとつくづく思った。
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