高齢社会と言われるようになって久しい。
全体人ロの1/4が60才を超えるという事は社会の中心軸が高齢者にシフトした事を意味する。
すでに高齢者はマイノリティでは無いのだ。
しかしながら、私達を取り巻く環境は依然として高度成長を支えた若い世代中心のものとなっている。
社会の中心軸が高齢者にシフトしたのだから、インフラも高齢者の使いやすいものにしなければならない。また高齢者に使いやすいという事は障害を持つ人にも、子供にも使いやすいのだ。
高齢社会の到来を悲壮感を持って語っては何もそこから産まれない。それどころか今まで通りの対処療法にしかならないたろう。
高齢社会というのは先進国が必ず体験しなければいけない関門であり、この高齢社会とどう付き合うかで、その国の円熟度がわかるのだ。
社会の中心軸に来た高齢者を施設に収容する事など、もはや出来ない。
早急に住環境の整備が望まれる。
住環境整備とはハードだけを指すのではない。
社会システムそのものを再構築する必要がある。
住環境が高齢者にやさしくなり、街に見かけるようになれば、そこに新らしい需要が産まれる。
彼らが保護される存在ではなくなった時、新たな労働力として社会に貢献してくれるだろう。
例えば子育て支援に高齢者の経験に裏づけされた知識は役に立つに違いない。
高齢化と少子化は表裏一体の問題なのだ。
私たちは経済至上主義社会から円熟した社会への大きなうねりの中にいると考えてはどうだろう。
住居をそして街を少しだけやさしく出来たら、80年の人生を最後まで生活者として全うできる。
例え人口が減っても80歳まで消費行動ができ、生産能力があるとしたらその経済効果はすごいものだろう。
FJCNはそうした円熟社会を実現するための専門家集団として発足した。
ネットワーク内にはさまざまな専門家が登録しており、各分野で活躍している。
専門家といっても主婦も生活のプロである。商店主やタクシードライバーだって専門家だ。
社会にかかわりを持つ全ての人がその道で専門家なのである。
円熟した社会の実現に向けて、専門家たちの参加を期待する。