労働時間法制

国会審議を見ていても、与党と野党の単なる派生争い、攻防戦と言った感じで、一体ここで何を決めようとしているのか?この国はどうなるのかがさっぱり見えてこない。
TVタックルや日曜日の報道バラエティも一緒だ。
問題定義するもののそれでお茶を濁され、それが国会へとは繋がっていかないようだ。
国会審議はシナリオがあるということだから、あれこそ政治バラエティ番組なんだろう。
国民はそれを見て誤魔化されている。
 
一方私たちは蚊帳の外でさまざまな法案が議決されようとしているが、そのひとつに「労働時間法制」というのがある。知っている人はどれくらい居るのだろう?
労働者は労働時間を提供することで、それに見合った対価を得ていると思う。
定時で終わらなければ残業や休日出勤になるが、割り増し賃金が払われているはずだ。
経営している立場から言えば、なぜ就業時間内に終わらないのかということになる。
また、従業員の時間を買っているのではなく、仕事を買っているのだとも言いたくなる。
 
自分で事務所をやっている私などは、自分がやった分しか収入を得ることは出来ないし、仕事を遂行するためには徹夜だって時には必要である。
自分の仕事に割り増し賃金なんて何の意味も無いことである。
 
この労働時間法制のなかではそういう考え方が織り込まれている。
工場労働者とかのいわゆるブルーカラーは単純に時間と比例した成果を上げることが出来る。
しかし、ホワイトカラーはどうだろう?ホワイトカラーの仕事の成果を判断することは難しい。
実際、昼間のパチンコ屋に停まっている営業車を見ると首を傾げたくなる。
そのくせ、会社に戻ってうだうだと残業となると一言言いたくもなるだろう。
仕事の出来る人間は一部の会社では年俸制を取っているようだ。
自分のキャリアと目標を立ててその達成度で次の年俸が決まる。
目標を達成するための努力や残業は本人の勝手ということになる。
 
ホワイトカラーは仕事時間の長さと仕事内容が必ずしも一致するとはいえない。
そこで米国の「ホワイトカラー・エグゼンプション」制度を模倣した日本の労働時間法制となるのだ。
この中では労基法の法定労働時間、休憩、休日、深夜労働規制の保護がとっぱらわれている。
あくまでの労働者の自律的な労働と成果に対し賃金をしはらうのだ。
 
この制度は本当にやる気のあるエグゼクティブクラスの裁量権を持つ社員には有効なものだろう。
ところが、日本における一般社員にとってはどうなのだろう。
政府はこの制度により、「自律的な働き方」をする労働者の「労働時間の規制にとらわれずに働きたい」というニーズに応えるなどと言っているようだが、日本のそうした労働者にはたして仕事に対する裁量権が与えられているのだろうか?適応されるホワイトカラーの条件は年収400万円以上のサラリーマンと言うことだが、これではほとんどのサラリーマンが適用されることになるだろう。
 
労働者の権利をきちんと与えないでこの法律を適用すれば、単なる賃金カットの恐れも出てくる。
妻の職場をみてもそうだが、本当に適正で時間内に終わるだけの仕事を能力が無くて残業しなければならないのか、もともと終わらないくらいの仕事量で残業を強いられているのかあやしい。
1日15時間も働いて、残業代カットでは考え直した方が良いかもしれない。
 
特にマスコミも騒いでいないようなので無事に通過することだろう。
今現在、残業、休日出勤に明け暮れている人は今後、それらはすべてサービスになることを心得ていた方が良さそうだ。
 
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