保険料率

最近、悲惨な自動車事故が続いている。
飲酒による事故等言語道断だが、わき見など不注意運転による事故などは明日はわが身かもしれない。
保育園に通う子供を持つ親として、先日公園に向かう園児の列に車が突っ込み多数の死傷者を出した事故は心が痛む。
それと同時に昨日の報道ステーションの報道に違和感を感じた。
いまだに意識の戻らない孫を思い涙ながらに訴える祖父の姿を延々流したが、その報道の意図はなんなのだろうか?
被害者としてやり場の無い怒りは理解できる。
もちろん事故を起こした者の罪は償いきれるものではないだろう。
これから当事者には長いやり取りが続くのだろう。
それらは当事者同士が行えばよく、我々が関与する事はできない。
しかし、昨日の報道を見る限り、加害者はものすごい悪人として表現されていた。
幼児殺人で死刑を言い渡された小林薫被告や飲酒運転で子供たちを見殺しにしながら隠蔽工作をしていた福岡の事故と同等の扱いだ。
後者は明らかに犯罪を犯したと理解するが、過失致死はあくまでも過失である。
報道を見ながら2年前の地震で十日町に建築ボランティアに行った際、余震が始まるたびに嬉々と報道を始めるマスコミを思い出した。
このような悲惨な事故は起きてはならないし、起こしてはいけない。
それはそれとして一個人を的にして国民的罪人につくり上げるのはどうか?
 
さて、昨日飲酒運転による民事訴訟で3億円の支払い判決が出た。
飲酒運転なのだから保険は出ないだろうと思ったら、被害者にはちゃんと支払われるらしい。
まずは良かったと思ったが、保険は相互援助だ。
罪を犯したものが負担するのならまだ良いが、保険から支払われるという事は保険加入者が負担する事になる。
被害者の事を思うと良かったと思うのだが、その反面一部の不良なドライバーの尻拭いを真面目なドライバーが行わなければならない。
つまり料率の改定である。
3億円という前例ができた以上、今後の裁判はそれを準じたものとなるだろう。
これから補償額は益々増える事は容易に予測できるのだから料率が上がるのは必須だろう。
 
どうも車なんか個人で運転して良い事は無さそうだ。
今やタバコみたいである。
今度から車のドアを開けるたびに「自動車の運転は他人を不幸にし、また著しい運転による緊張は健康に害を及ぼす可能性があります」みたいなアナウンスをするようにしてはどうだろう?
それでも高い金を払ってでも身を削ってでも、例え自分が加害者になる可能性があるとしても運転するという強い意志があるものは運転するだろうから。
もっと田舎の公共交通を整備してもらい運転しなくても済む日が来る事をせつに望む。
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