茶の湯

今日、久しぶりにお茶の稽古に行ってきた。
このところ父親の入院などで夜中に呼び出されたり、週末を毎日付き添いをしている母を休ませるために交代して病院で過ごしていたため、家族サービスはおろか、仕事もたまり、とてもお稽古どころではなかったのだ。
しかし、父の様態が慢性化していく中で、私たち家族の生活が現状のままということになるとかなりきつい。
今までは一過性の病気という事で家族がおのおの個を犠牲にして対応してきたが、今後、なんとか父親が退院したところで今年に入ってから自宅での時間が長いか病院での生活が長いかを考えると実際のところ病院であるという現実を受け止め、生活設計を組みなおす事にした。
とは言っても何ほど変わる訳ではない。
しいて言うなら、気の持ちようが変わったという事だ。
父親の介護は生活の一部であると認識した。
私の生活の中に組み込むことで、同時に自分の時間もしっかり管理しようという事だ。
もちろん、父親の介護は私一人で出来る事ではなく、母親を中心に兄弟とその家族がサポートに廻るという形で行われる。
母親は週末の日中だけ家に戻るという生活だが、それだけは完全にしてやりたいと思う。
この週末、病院で付き添いをしながらいろいろな本を読むことが出来た。
またやらなければならない仕事も少しは出来た。
どうせ個室だし、昼夜逆転してしまっている父親は昼間はおとなしいものだ。
病院の個室に本とコンピュータさえ持ち込めば結構良い仕事の環境が出来上がる。
新しい週が始まり、今日は2週間ぶりにお茶の先生のところに行ってきた。
もう、今まで勉強した事などすっかり忘却の彼方かと思ったが、それでもところどころ思い出せたのでよかった。
それよりも久しぶりに穏やかな時間を持つ事ができた。
静寂の中で薄茶を頂く歓びをしみじみ感じた。
今週はプールも再開するとしよう。
日常生活の中に介護という時間が増えただけだと思えば結構自分の時間も作れるものだ。
あとは父親に生きようという気力をどう持たせるかが問題だ。
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