帰属性VS求心力

一昨日行われた高校の同窓会幹事会は最低なものとなった。
毎年高校を卒業する時にクラス幹事2名、学年幹事1名を任命し、同窓会開催のための伝達網の主要な役割を担ってもらう。
学年幹事、クラス幹事が同窓会への参加をクラスの仲間に呼びかけるシステムだ。
同窓会幹事会は年1回行われる総会と懇親会を行うという告知を行い、案内・ポスター等を配布する。
ところが集まったのは役員他は数名だ。
2年後には100周年を迎えようという母校の同窓会に集まるのは1/10にも満たない学年代表とは情けない。
総会開催も危ぶまれる危機的状況だ。
私が受け持っている会報も同窓生の協力金によるものだが、昨年は赤字となった。
今回6月に発行する会報の協力金が赤字となると次は早くも休刊となる。
せめて100周年までは持たせたかったが残念だ。
執行部の努力が足りないと言われれば言い返す言葉は無いが、こうした同窓会の事業に参加しないという行動そのものは各同窓生の個々の意思によるものだ。
だとすれば同窓会そのものの存在する役割も終わったということではないのだろうか?
学校や会社、ちいきへの帰属意識はどんどん薄れている。
何とかしなければともがくが、結局自分たちだけが空回りするだけである。
いつから私たちは帰属性を失ってしまったのだろうか?
もしくは求心力を失ってしまったのか?
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