いつまでも生活者でいるという事

5年ほど県の「福祉用具・住宅改修広域支援事業」でケアマネ向け研修の講師をさせていただいています。
終了後のアンケートを読ませていただくと、概ねご支持頂いているようです。
ただ、今まででもっとも不評だったのが去年の講義でした。
このときの講義は私の時間枠が例年よりも1時間短く、いつもやっていたカリキュラムが組めませんでした。
2時間ぐらいで住環境整備の必要性を説明するのは本当にさわり程度しか出来ません。
そこでどうせ概論的な話しか出来ないんだったら、住環境整備のもっと前にある「人の生活」についてお話させて頂くことに。
「いつまでも生活者でいるという事」というのは私が住環境整備にあたる際のテーマであり、新潟県が行ったユニバーサル住宅設計コンペでもこのテーマで優秀賞を頂きました。
このとき作成したプレゼンテーションを基に人が人として生活するということはどういうことか?
それが例えどんな状況においても生活者でいる事の大切さを知って欲しかったのです。
高齢者であれ、何らかの障碍を持っている人であれ、健常者と同じ生活者であるはず。
それはケアマネ一人ひとりが職場を離れて家に戻ったときに各自の生活を楽しんでいるように、誰もが同じく生活を楽しむということです。
 
私は建築家として間取りが、家の形がという前に、クライアントがどんな生活を楽しみたいのかと言う事に興味を持ちます。
今まで携わってきた作品の全てがクライアントの「生活(ライフスタイル)のデザイン」支援であり、それが結果として住宅と言う形になっているに過ぎない。
私はこの事業に関わって以来、ケアマネと言う職業が私たち建築家という職業に近いと感じていました。
ケアマネと言う職業も対象とする人たちの生活をデザインするクリエイティブな仕事だと思うのです。
そしてそこに必要な視点とは相手も自分と同じ生活者であるということ。
自分と対峙する所に相手がいるのではなく、利用者と同じ列に自分を置き、利用者と同じ方向を見つめる。
まさに建築家とクライアントの関係そのものなのです。
だから、ケアマネも住環境の中で生活を楽しむということを知って欲しかった。
私が今まで行ってきたプロジェクトを紹介しながら、家造りってこんなに楽しい。
建築家と行う家造りというのは出来合いのものを買ったり、カタログショッピングとは違い、クライアント自身が自分を見つめなおし、自己実現をどう達成するかを考える事なのだ。
ケアマネがケアプランを創るという作業と同じようにね。
こんなストーリー構成の講義です。
 
ところが結果は惨憺たるもの。
「建築家の独りよがりな作品を見に来たわけではない」
「自分たちが携わっている現場はそんなものではない」
「具体的に住宅改修の話を聞きたかったのに時間の無駄だった」
といった感想が多かった。
ケアマネにとっては自分に対峙する利用者への対応の仕方
その技術論の方が切羽詰った問題だったということでしょう。
もしかしたら、彼ら自身が生活をそんなに楽しんではいなかったのかも知れません。
 
福祉住環境整備なんて私たちが通常行っている設計となんら変わる事はありません。
ただちょっとだけ考えなければいけないのは障碍があるが故に潜むニーズを見つけ出す事。
でも一番重要なのは自分と同じ生活者なんだと言う視点だと思います。
 
惨憺たる結果と言っても私は諦めてはいません。
参加されたケアマネの半数以上は好意的な意見を述べてくれていましたし、実際のところ私とかかわりを持ってくれているケアマネは本当にすばらしい人たちばかりですから。
私の周りだけでこれだけ生活者の視点を持ってケアプラン作成にあたるケアマネがいるのですから、県内には多くのそうした人たちがいる事でしょう。
だから私のアプローチの仕方が悪かったと反省し、翌年からより現実的な話にさせて頂いています。
でも何処まで言ってもメインテーマは「いつまでも生活者でいるという事」
例え応用的な話をしろと言われても、皆にこの視点を持ってもらうまでは今のままで行きたいと思います。
カテゴリー: 建築 パーマリンク

コメントを残す