生産調整

先週のニュースでご存知の方も多いと思うが、北海道でキャベツの大量廃棄が行われた。
今年のキャベツは豊作で、それは常識的には喜ばしいことと思えるが、そのために市場価格が下がってしまい、安定供給が難しくなると言うことで生産調整を図り、流通量を制限することで価格維持を保つのだそうだ。
せっかく収穫したキャベツ25tをトラクターで踏み潰す光景を生産者はどんな想いで眺めるのだろう。
一方では中国から安い野菜が輸入されたり、食糧危機が叫ばれていたりする。
市場に安く供給できるのならしたらよいと思うし、食べられるものを投棄するというのももったいない話だ。
まあ、実際のところ、そんなに単純な話でもない。
生産コストと利益の損益分岐は必ずあるのだが、大量生産システムというのは合理的なようで案外無駄が多い。
ほとんど機械に頼った生産システムだから燃料費がかかるし、産地と消費地が遠ければ、輸送コストだってばかにならない。
今回のように豊作になりすぎれば価格が下落し、下落した分x大量生産だから影響がもろ出てしまう。
国は相変わらず、大量生産方式を推進しているようだが、農作業の大規模化って誰にメリットがあるのか良く判らない。
大規模化すれば土地改良や農機具業界は潤うだろうし、そうした規模の大きい農業法人からの法人税はしっかり取れそうだ。
しかし、そこで働く農家は生産物の価格は頭から抑えられ、いにしえの昔から「生かさず殺さず」の世界だ。
「生かさず殺さず」を継続させるのが悪名高き補助金である。
とりあえず生きる為にはどうしても補助金に手を出してしまう。
これでは農業を継承することも出来ず、結局、機械力に頼らざるを得ない。
今から団塊の世代に農家になりましょうと呼びかけても焼け石に水だろう。
妻の実家もそうだが、農家を維持する為に他所に働きに出るという兼業農家の意味がわからない。
どこかで何か無駄な動きをしているとしか思えないのだ。
我が家の空中菜園程度だと無駄も無いのですが。
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