ありがとうスティーブ

朝一番に飛び込んだアップルの創設者であり、前CEO スティーブ・ジョブズの訃報に驚いた人は多いと思います。
それは私にとって、マイケルジャクソンの訃報よりも衝撃的でした。
ジョブズが癌であることは周知の事実でしたし、その限界でCEOを辞任したのですから、この日がやがてやってくることは誰もが判っていたこと。
それでもジョブズが永遠であると、心の中で思っていた。

1955年生まれのジョブズは私より僅か6歳年上なだけですから、同年代といっても問題ないと思います。
パーソナルコンピュータが世の中に出た時、私は高校を卒業したばかりでした。
一番最初に買ったのは国産のフラッグシップNECのPC-8801。
言語はBASICでした。
やがてPC-9801でMS-DOSになりますが、それはまるで呪文のようなプログラム言語でした。

Macとの出会いは東京でプログラミングを行っている友人の会社を訪ねたとき。
今からもうすでに30年前のことです。
それがジョブズの傑作、初代Macintoshだったのです。
もう衝撃でしたね。
今では当たり前のGUI(グラフィカルユーザーインターフェイス)ですが、いらなくなった書類をゴミ箱に入れるなどの直感的な操作感。
マック書道なども今と変わりないバーチャル書道を実現していた。
やがて私はMacintosh Plusを友人から譲り受け、強烈なApple信者になっていった訳です。
しかし、残念ながら当時のMacは一部のアーティストが利用するマイノリティ。
今のように設計で使っている人は少なくとも私の周りには皆無でしたので、仕事の上ではまったく互換性も無く、苦労しました。
Apple社が成功し大きくなるに連れ、ジョブズの思想より経済優先で取締役会から代表職を解任されてしまうのでした。
ちょうどその頃、データの互換性が無いということといつまでも小さくならなかったラップトップに見切りをつけて、私の事務所にWindowsPCが入ってきたのです。

ジョブズが去った後のAppleは低迷し、やがて2,000年にCEOとして返り咲きます。
ジョブズが新たに始めたコンピュータNeXTの優れたアーキテクチュアはやがて現在のMacOSやiPhoneのiOSになっていく訳ですね。

私も随分Windowsと互換性が取れてきたMacに再度戻ろうかなと思っていましたが、そろえた周辺機器の関係からいまだWindowsですが、iPhoneには飛びついた。

iPhoneやiPadはジョブズが思い描いていたMacintoshの最終形だと思えるのです。
そしてMacを追随して作られたWindowsのようにAndridが後を追っかける。

きっとジョブズはそれで良いのだと思っていたでしょう。
彼は新しい道を作る人だったから。

彼の生き様には共感を憶えます。
自分もそんな風に生き抜きたい。

4年前、すでに癌の告知を受けていたジョブズが行ったスタンフォード大学での卒業式祝辞のビデオを見つけました。
ここを訪れてくれた人の全てに見て欲しい。
彼と同じ年代を生きれたことを誇りに思い、彼が作り上げてくれた社会に感謝したいと思います。
今も手元に残るMacintosh Plusはスティーブ・ジョブズの形見として、我が家の家宝にします。

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