数日前、老舗の家具屋の跡取りが事務所に遊びに来てくれました。
今度、世界の絨毯展を開催するので遊びに来てくれと言うのです。
実は最近、高級絨毯が売れなくて、新潟のデパート売り場からの撤退が続いているとの事。
それを原価を割っても良いから売りさばいてくれと問屋に頼まれたのだそうです。
私も彼から以前 段通を買いましたが、百ウン十万をローンでの購入でした。
それが今回は半額で替えるのだと聞いてショック。
嘘みたいに安いと思いました。
手織りの高級織物がそんなに安いならとも思いましたが、一番安いのでも十五万円からということで、安いのでしょうが近況の買い物としては高い。
そんな話から「最近、家具が売れない」という話に。
売れないというのは自分達が取り扱っている家具で、通販や量販店で売っている組み立て家具のようなものは売れているんだそうです。
もともと家具屋さんというのは売り場面積に占める商品が大きく、単価を上げないと収益率を高めることが出来ません。
売り場は限られていますから、安い商品を並べるより高級家具を置いた方が良いということになります。
そこで試されるのが売り手の商品の選択眼で、バイヤーとしての技量が重要なのです。
彼は世界中の家具メーカーを熟知している職人のようなタイプの経営者。
彼の勧める家具ならと固定客も居たはずなのですが、そういう旦那様が最近激減しているらしいのです。
同じようなことは呉服屋さんとかにも言えるのでしょう。
うちみたいなニッチ狙いの設計事務所もまったく同じこと。
別に営業なんてしないけど、良いと思ってくれる人が何となくクライアントになってくれて、もともと生産効率が低いので数名のクライアントの仕事で1年が終わってしまうみたいなところがあります。
ところがここ数年は状況が変わっている感じがします。
家具屋さんが言うには「最近のお客さんは見栄をはりません」。
見栄という言い方は良くないのですが、少なからずとも人よりは良いものをという気持ちは否定できません。
どうせ買うなら良い品を欲しいと無理して高級段通を買いましたから。
それは自分自身疑うところは無く、数よりはクォリティを重視したいと私は考えるタイプです。
しかし、そういうのは今やマイノリティなのかもしれないというのです。
住宅だってどうせ作るなら安普請ではなく、クォリティの高いものを目指す。「きれいな家よりも美しい家」これが当事務所の理念です。
でもそれは供給側のこだわりで買い手の要求とは必ずしも合わない。
夕食時に妻にその話をしたところ
「お金があればねぇ」
クォリティの高さが直接価格に比例するとは考えませんが、適正な対価は掛かります。
そこのところは多少背伸びをして欲しい(見栄?)し、最初に完成形を目指さなくても出来るところは自分で作っちゃうこともできるんじゃない?
と問い返すと、
「ターゲットは何歳くらいを考えているの?それって熟年思考だよね」
と一括。
新築を考える世代は妻と同じ30代から40代前半、妻は我家では料理も素材からしっかり作り上げる人ですが、彼女も同世代からはマイノリティだとか。
家庭菜園やったり山に入ったり、冷凍食品を嫌うのは時間のある団塊世代で今時の若者はお金も時間も無いという訳です。
バブル崩壊のころ生まれ、景気の低迷期に思春期、雇用状況もままならないまま結婚で夢も無い。
「お金があればそりゃぁ何でもするけど、無理してまで生活する気にはならないんじゃない?」
ブランドバックにもあんまり興味が無いし、海外旅行も一般化したと思いきや若者はあんまり興味が無い。
車も私達のころはガキがハイソカーでしたが、今時は税金の安い軽自動車。
良く言えば身の程を知っていて、悪く言えば見栄が無い。
そういえば「若者のOO離れ」って良く聞きますよね。
住宅産業を見てもアパートを戸建にしたような住宅が売れているし、それでは組み立て式家具で良い訳だ。
熟年世代は戦争を知らない自由主義、がむしゃらに働いて価値観をお金に変換して高度成長、バブルをつくり物欲を謳歌、退職金や年金で安定しているので物欲は少なくなり、良品思考。
私は高度成長期に生まれ、物欲の中を育ち、バブルで良品を知り、経済低迷期でも本物思考。
若者は経済低迷期に生まれ今に至る。百円ショップやアウトレット、ロープライスで物欲もとりあえず満足?
「お金があれば、そりゃ高いの買いたいし、海外旅行だってしたいけどさぁ」
「日常消耗品は百均でも良いけど、それ以外は多少無理しても良いものが欲しいし、お金が無くたって海外旅行したい!」というのは熟年思考?
でも良い商品は愛着が湧くし、長く使えて結局は地球にもお財布にもエコロジー、海外旅行だって自分で全て手配すれば国内旅行とそんなに変わらないんだけどなぁ。