一週間

2011年3月11日 午後2時46分 三陸沖を震源としたM9.0という日本が体験したこともない巨大地震 東日本大震災が起きました。
このブログを書いているちょうど1週間前のこと(時間も)。
ちょうど2階に居たのですが、3分にわたる長く大きな揺れはかなり危機感を感じるものでした。
揺れが収まりTVをつけると震源は太平洋側。
日本海側でこれだけの揺れを感じるのですから、いったいどんなに大きな地震だったのかとTVを食い入るように見ていると、見たこともないような大津波。
ここのところ何年も自然の脅威にさらされて、我が家も十分身にしみていたつもりでしたが、そんなのは全然大したことではなかった。
土手の決壊とは比べ物にならない津波の破壊力はすさまじく、人間の生産物などはすべて一瞬のうちになくしてしまう。
1週間経った今日も死者の数は増え続け、2万人規模も覚悟しなければならない。

本当なら土曜日に東京へ行き、私の誕生日を新大久保のコリアンタウンで祝う予定でしたが、当たり前ですがもちろん中止。
(むしろ強行で出かけたら混乱に巻き込まれていたでしょう)
それ以来、毎日のようにTVを食い入るように見続け、あっという間に今日に至りました。

被害者救援と震災復興を早くしなければいけない。
そう思いながらも個人レベルではむしろ混乱を招いてしまいます。
私が所属するJIA(日本建築家協会)にも県から専門家派遣の要請が出るでしょうから、それを待つことにしました。
そうしているうちに福島第一原子力発電所の事故(決して事象ではない)の一報。
これは大変なことになる。
私が昔勤めていた会社にも原子力部門がありました。
私は直接そこには帰属していませんでしたが、友人から夜電話が入り、想定されるこれからの状況を聞かされることになります。
新潟でも中越地震で刈羽村原発に破壊がありましたが、それほどの被害も出ず、危険だとは意識しつつも今回もそんなものかと思っていたのは実際のところです。
ところが建屋の水素爆発に至り、友人の話していたこれからがかなりリアルなものになり始めました。
今はツイッターで関連をフォローしていますので、興味のある方は私の最近のフォローした人たちを参考にしてもらえば良いでしょう。
いろいろな知識を得るにしたがい、政府の説明がどうしても理解出来なくなってきました。
「すぐには健康に害の出ない放射能量」という漠然とした説明で安心できる人はいったいどれくらいいるのだろう。
発電所近隣の人は爆発や発電所が発する直接被爆の現実的恐怖がいつまでも続くでしょう。距離の二乗に反比例して減退していくというのなら200キロ近く離れた東京やそれよりも近くても山脈でガードされている新潟はやや安全圏なのかもしれない。
しかしもうひとつは放射能を含んだ原子雲の恐怖。
こちらは千キロ規模で拡散し、それは風向きによるというルシアンルーレットのようなものです。
そして放射能の塵を吸ってしまう内部被爆は政府見解の「すぐには健康に害の出ない放射能量」では無いかもしれませんが、長期的にはその量によっては深刻な健康被害をもたらします。
そんな話をするたびに私をフォローしてくれていた人たちがどんどん減っていく。
きっと「不都合な事実」は耳障りが悪いのかもしれません。

被災地の人が死にそうだっていうのに自分の身がそんなに心配なのかという感覚がどうも日本人には多いのかもしれません(また読んでくれる人が減っていく…)。
しかし、元気に生きていなければ困っている人を助けてやることが出来ないという事実も知るべきでしょう。
私は生活用品の買占めに走る人たちを非難する気もない。
彼らにも守らなければならない事があるからです。
誰にも自分の正義はあります。
まずはそれが最優先されるのはあたりまえ。
問題は自分の正義を見極めるだけの正しい情報と知識の必要性だと思います。
しかし、「当面は大丈夫」みたいにパニックを避けようとする気持ちだけが見えてしまい、反対に心配を煽ってしまうような政府や東電の説明とそれを受けてお先棒を担いでいるマスコミ、御用学者たちには嫌気がさす。
中国や北朝鮮じゃあるまいし、ネットで海外メディアの報道は幾らでも手に入ります。
日本の民放がワイドショー的に被災地の避難所生活をリポートしている間、CNNでは原発事故の現場で防護服を着て作業に当たったり、被爆した住民を隔離している姿を映し出している。
どちらに真実を見るかは視聴者次第でしょうが、私にはCNNのほうがリアルに感じられました。

私自身7.13水害と中越地震、中越沖地震を立て続けに体験し、被災し、助けられた経験もあります。
物資が届かず、避難所で死んだり、餓死寸前というツイートを読むたびに心が痛く、泣いてしまいたくなる。
私にも被災地の知人が居ますし、消息を知ったときには本当にうれしかった。
私の出来ることを可能な限りしてやりたいと思う気持ちはほかの人と同じです。
そしてもうひとつ、息子を安全に育てていかなければいけないという自分も居る。

事故以来、原子力資料室や中部大学の武田先生のブログを私は参考にしています。
たぶんに反原発派で偏っていると思う人もいるかもしれませんが、私にはとても理解しやすいのです。

池上彰さんの解説は素人にも判りやすいですが、放射能と放射線を蛍に喩えるのはとても違和感を感じました。
蛍という言葉で恐ろしさを軽減させる意図的な部分を感じずにはいられないし、それはこれまでTVで安全だと画一的に言い続けているのに通じます。

あれはちょっと心配しすぎたねと後で笑うのならいいじゃないですか。
まずはリスク管理をしっかり行いたい。
自分の足元を固めてから、しっかりプロとして自分の出来うる最大限で日本の復興に役立ちたいと考えています。

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