努力しているうちはダメ だけど...

ある機関紙に面白いコラムが載っていました。

真の「努力」の姿とは
  「喜び」に至ってこそ本物 

という題名でした。

一般的に「努力」する姿は尊く立派に見えますが、本来の語源からすると
「嫌なことをむりやりやらされる時に居る力」となるそうです。

努力の「努」と言いう漢字を分解すると奴隷の「奴」に「力」
つまり奴隷に命令し、嫌がる仕事を力ずくで無理やりやらせる意味という訳です。

考えてみると好きなことをやっているときは、周りからどんなに大変そうに見えても本人はワクワクしながらやっているのであって、それを「努力」とは思わないでしょう。
「努力」していると感じるのはどこかで「我慢」してやっているとき。

しかしながら、人生楽しいことばかりでは無い。
学生時代は好きとか嫌いに関係なく勉強しなければなりません。
それは「努力」を必要としますが、そうして得た知識の点と点が結ばれたときにようやく見えてくるものがある。
そのベクトルの進む先がきっと夢中になれることなのでしょう。
そこからは「努力」なんかではなく「喜び」です。
「喜び」に至って欲しいと願いながら「努力」を強いるのです。

さて、当事務所では建築士を目指す社会人に向けた個人塾「建築士フォーラム」も行っていますが、ここでも塾生は苦悩しています。建築士資格取得という明確な目標があっても勉強はなかなか「喜び」にはならず「努力」です。
課題を解こうと思ってもなかなか先が見えてこない。
でもある瞬間に「喜び」に変わる時が来ます。
点と点が結ばれた瞬間です。
頭の靄が晴れたように課題文の内容がスラスラと頭に入ってくる。
そして課題を読み終えたときには大まかな建物の形が出来上がっちゃう。
これが30分エスキスなのです。
そこに至るまでにはだいぶ個人差があります。
それはやっぱり「努力」の差なんです。

もうすでに「喜び」に入った人、未だ「努力」の人いろいろですが、「努力」は必ず報われると信じて後半も頑張りましょうね。

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