地方を考えてみた

橋本氏率いる大阪維新の会は今回の大阪ダブル選挙で圧勝しました。
いよいよ大阪都構想が一歩踏み出した感じです。
もちろん、これは国と地方自治のあり方の再編ですから、当然国政にも関係する。
政府がその求心力を失い、国と地方の力のバランスが変わりつつあるという事象の一つでしょう。
今回の圧勝の要因は何と言っても普段は政治に興味を持たない無党派層を動員できたこと。
かつての小泉政治と同じく、大阪市役所を既得権益者という仮想敵国に見立てた、馬鹿でも判る対立軸を組み立てた。
そこに現状に対して閉塞感を持つ庶民が一斉に反応したという感じでしょう。

越後ジャーナルの社主がFacebookで「その方法がもっとも民主的というのだから、そうするしかないのだろうな。」と嘆くのはよく判る。
民主主義は成熟した市民によってのみ成立するシステムです。
戦後の日本の教育において、残念ながら市民教育は圧倒的に足りず、むしろ愚民化によるムラ社会を作り続けた。
そんな私たちが選んだ小泉政権の作り出した日本が今の日本であると言う検証も反省もされぬまま、相変わらず数の論理だけで突っ走る日本の政治には恐怖すら覚えます。

私は橋本氏については否定よりもむしろ肯定側だと思いますが、全面的に賛成というわけではない。
小泉政権の反省を踏まえ、扇動的ではなく、検証と反省を繰り返しながら着実に改革を進めてほしいと思います。

この大阪都構想には他の地方自治体の首長にも多くの賛同者が居ます。
新潟県知事もその一人。
大阪都と同じく新潟州構想を掲げ、地方自治力を高めようと動いている。
大阪維新というより、なにやらしずかな戦国時代の到来?

こんな一連の流れの中で、ふと地方って何だろうと考えてみました。
東京一極集中ってそんなに悪いですかね?
もちろん、今回の震災でバックアップの必要性は痛感します。
でも日本国中が均一化するっていうのにどうも抵抗がある。
日本国民があまねく同じ権利を有するっていうのは十分理解しているんですよ。
でもね、田舎者が東京にあこがれるってそんなに悪くは無いと思うんです。
最近は上京する、つまり東京へ上るなんて言葉も死語になりつつある。
みんな上京するなんて言わないで、普通に東京へ行くですよね。
ホント、首都としての求心力が薄れちゃって、ただの一都市に成り下がってる。
僕の若い頃は上京するって、結構気合入れたものですがね。

最近、至るところで「まちおこし」に一生懸命です。
ご当地キャラにB級グルメ?
頑張っている人には申し訳ないのですが、どうも懐疑的になってしまう。
どうも作為的で無理を感じるんだな。
僕らの若い頃はバブル時代で、それこそ街づくりといえば全国アミューズメントパーク化でしたね。
(我が三条市も日本のゾーリンゲンと称しドイツ村構想なんてことやってた)
そこに関わるコンサルなんて、キーワードをちょっと替えただけの企画書しか作らないから、何処へ行ってもなんだか同じ。
どこが特色ある街づくりなんだかさっぱりわからない。
今だってイベントといえば、全国でよさこい踊って、B級グルメ食べて、ゆるキャラがお出迎えするというのは一緒でしょ。(今回は敵をいっぱい作りそうだ...)

田舎ってさ、そういうことしなくても本当は東京みたいな大都市より良い場所なんだよ。
でも如何せん人が集まらないから、都会へ出ないと機会がやはり少ない。
だから、田舎でくすぶって居たくなければ、気合入れて東京へ殴りこみに行くんだ。
成功して地方に錦を上げるも良し。
失敗したって田舎は温かく受け入れてくれる。
東京と地方の力関係ってこれくらいのほうが良くないですかね?

もちろん求心力を失った国政は大問題。
政治のあり方や税の分配方法などは建て直しは緊急に必要でしょう。
それはまず国民が市民意識を持つことが重要。
そしてきちんと検証すること。
決して現状に諦めて、新しいものに群がるだけではダメだし、それでは今までときっと変わりが無いでしょう。
地方から変える日本というのがどうも今のウェーブのようですが、そこに乗っかる国会議員の節操の無さには呆れる。
国会議員がまずは国を建て直し、求心力を持たせることが適正な地方との関係をつくることだと思うのです。

TwitterやFacebookを眺めていると、次世代の若者が一生懸命、行動している。
それをとても力強く感じながらも思わず老婆心が湧き上がるのって、やっぱり歳取ったということなのでしょうかね。

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