トイレの神様

植村花菜さんが歌う「トイレの神様」が静かなブームになっています。
「千の風」に近い染み渡る詩ですね。
トイレというどちらかというと控える言葉を全面に出して、あんな美人が歌うというのもかなりのインパクトですが、曲を聴くと目頭が熱くなる。
トイレって私達の生活に切っても切れないものですが、あまりに存外に扱っているのかもしれません。
私の友人のケアマネージャーで「トイレ」というと居ても立ってもいられない人がいます。
かつては下田地区でもっともトイレ工事を受注した男。
もちろん受注といっても介護保険における住宅改修の便器の変更ですが、確実に本業よりも仕事を持っていました。
介護保険上は和式便器では身体的に用が足せないということを補うのが目的です。
当時、下田村は下水工事がほぼ完了し、多くの家で汲み取り式から下水への切り替え工事の真っ最中でした。
設備業者はそれを追い風に営業しまくっていたのですが、同時に下田村の高齢化率もかなり高く、何も考えないで新しくなるだけのトイレでは高齢者が使えません。
そこで、業者に相談する前に私に相談してくださいと言って回った。
単純にトイレのみをピンポイントで考えるのではなく、総合的に判断しながら改修しましょうという提案をしてまわったのです。
彼が言うトイレ改修の効用は単純に身体機能の補助には留まりませんでした。
トイレの改修は家族関係の改善にも繋がるというのです。
親世帯は下田村に残り、息子夫婦は三条に出て独立している。
そんな老夫婦世帯や独居の世帯が多い下田村の家ですが、街の子になってしまった孫が下田の家に寄り付いてくれません。
何故かというと子供は汲み取り式のあの吸い込まれそうな穴が怖いから。
それがトイレを改修した事で、三条の家のようにきれいなトイレとなり、もう怖くない。
そうなると、むしろ三条の街の中よりも下田の自然の方が遊び場はいっぱいとなり、「またおじいちゃんちに行こうよ」と孫が言ってくれる。
子供が行こうと言うのなら、親だって行きますよね。
それで週末下田住民が増えたんだそうです。
トイレ改修による人的介護力増強とは、まさにトイレの神様。
 
健常者でもトイレ次第というのに、障碍者にとっては生活そのものです。
彼らが利用できるトイレの量や質、範囲がまさに生活領域を決定します。
特に自発的に排泄が出来ない脊髄損傷の人にとっては、計画的に排泄するための設備がなければ出かける事も出来ません。
ところが公共トイレを見渡すと、なんと質の低い事か。
ちょっと前に作られた公共トイレというのは、いわゆる車椅子利用のみしか考えられていません。
ところが、車椅子を利用する人にはざまざまな状況の人が居るわけで、それらはまったく検証されていないのが実情です。
昨年まで関わってきた市の公共工事に対するユニバーサルデザイン審議会でもいろいろ発言しましたが、ほとんど聞いてもらえませんでした。
最近は少し質が上がって、多目的トイレとなり、小さな子供を連れたお母さんも利用できたりしますが、これなんかも普通のトイレの質をちょっとあげてやるだけで簡単に改善できたりします。
 
そこで私達の身の回りの公共性のあるトイレを検証し、それをGoogleマップ上に載せたり、HPで詳細情報を発信する事にしました。
まだまだ情報量は少ないですが、そのうち協力者も増えて、いろんな人に情報提供出来るようになると嬉しいです。
先ほどのトイレの神様が明日、三条総合運動公園のトイレ検証を花見がてらやりましょうと提案しています。
天気予報は微妙ですが、桜はなかなか良い感じ。
お弁当を持って駐車場のお昼休みに集まりたいと思います。
その様子はHPにて報告しますね。
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