生きる気力

昨日、友人の家に住宅改修の打合せに行ってきた。
脳の手術を行い、全介助に近い状態で病院から戻ってきた。
友人の家は会社を経営しているが、父親は第一線で社長業をやっていたから本人のショックは大きかったようだ。
打合せ当初は天井走行リフトを取り付けて風呂からトイレまで移動できるようになどの希望がなされたが、それはかなり大掛かりなものだった。
そこで車椅子を用いて生活できるようにいくつかのプランを提案してきたのだが、ずいぶん当初と状況が変っていた。
主治医には車椅子による自立を目指しましょうと言われたそうだ。
本人は会社が気になってしょうがないらしい。
とにかく毎日会社に連れて行けとうるさいという。
それでとにかく安全に外出できるようにすることを最初にやってほしいとのことだ。
その家は某メーカーのコンクリート住宅で、まことに改修に不向きな建物だ。
とにかく知恵を絞って何とかしなければならない。
それにしてもなんという生命力の強さだろう。
実家の父親と比べると彼の父親はたくましい。
友人は負担が大きいと嘆いているが、生きる気力を失うともっと心の負担が大きくなる。
物理的な負担などそれに比べたら小さなものだが、それは体験しないとなかなか解らないし、まだ介護を始めたばかりでの動揺もある。
介護・障害というと重く感じるが、それを含めて老化なのだと割り切るしかない。
老化しても外出したい、社会参加したいというのはすばらしいことではないか。
この辺がサラリーマンと経営者の違いなのだろうか?
仕事をリタイヤしてこれから悠々自適な生活と思っていたときに喉頭癌にかかり心気的になってしまったわが父は外出も億劫になり、絵に描いたように廃用が進み、筋力は退化、酸素なしでは生活できなくなるまでになってしまった。
一昨日、昨日と天気が良く、桜でも見に行こうと誘ったが、疲れているから嫌だと断られた。
今年はとうとう花見も興味が失せたようだ。
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