セイギノミカタ

昨日の住宅改修の打合せで感じたこと。
昨日はケアマネからの依頼があり、対象者が病院から作業療法士とカウンセラーを伴い一次帰宅をするので同席し、住宅改修の世話をして欲しいとのことだった。
このカウンセラーが曲者だ。
とにかく患者に金を使わせないことが自分の使命と考えている。
だから、改修にはどちらかというと消極的。
それを天使のように口ずさむから困る。
無駄に金を使う必要は無いが、住宅改修は適切に行うことでかなりの効果が期待できる。
頑張れば現状でもなんとかいけるという見解はプロとして認めるが、家は病院と違い危険が放置されているのだ。
今大丈夫な段差もふとした瞬間、足を踏み外すのが現実だ。
結局、手すりもつけない、式台も設置しない、段差の解消も行わない。
さすがにトイレだけは面積的にも様式的にも利用が困難なので直すことになった。
それでも簡易にと言い続けたが、さすがに物理的な狭さには折れた。
患者家族にはもちろん金をかけない方が受けは良い。
 
ところで段差解消を見送った訳ですが、トイレの床の高さはどうしますか?
と意地悪く質問したところ「はーっ?」と惚ける。
床高には無頓着な人だ。
「どうせ床も解体しますから、通常は段差を解消します。」と言えばそうしてくださいと言い、「しかし、廊下の床も大分傷んでいますし、将来段差の解消をされるのであれば、今度は今作るトイレの床が段差になりますが、、、」と聞けば将来のことは判りませんと言う。
「それはご家族の決めることですから」というので、家族にこの話をしていると脇から「でもこれ以上悪くなって車椅子を検討されるときは現実的には施設ですよねー」と横槍を入れる。
まあ、なるべく大掛かりな改修はさせたくない訳だ。
 
しかし、いざ車椅子になったときに現実としてすぐ受け入れてくれる施設はあるのか?
またあったとして、月幾らくらいの家族の負担となるのか?
その辺の説明責任は果たさない。
また、そんな状況に陥らないように、現状より悪くならない予防が住宅改修の本質だ。
トイレが使えないからトイレを直すといった対処療法ではそれこそ無駄金を家族に使わせてしまう。
 
息子は別居しているが、両親を自分の家に呼ぶのは大変であろう。
ならば施設?資金負担は?
そうならないように現状考えられる危険は除去したほうが良かろう。
介護保険も助成金も使えるし、息子も自己負担分くらいはなんとかなる。
 
天使顔で当面の話だけをするセイギノミカタ。
別に建築系の人間は患者の敵ではないんだよ。
一緒に患者の生活を考えてあげましょうよ。
それと患者とタメ口は外部の人間からは違和感があります。それが例えフレンドリーな表現でもね。
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