先週初めから危篤状態にあった父だが、ようやく薬が効いてきたらしく安定してきた。
とは言え、肺の機能はほとんど無く、直接酸素を肺にぶち込んでいる状態で、もう家に戻ることは難しそうだ。
母も神経的にまいっている為、夜間の付き添いは私がやり昼間戻って仮眠を取り、また病院という生活だった。
危篤状態のときは静かに病と闘っていた父も、具合が安定してきたら今まで通りの錯乱状態の父に戻ってきた。
完全昼夜逆転状態で夜の間は覚醒している。
それと付き合うのは半端な精神状態では居られない。
身体に取り付けられたモニターの配線はぶっちぎり、24時間やり続ける点滴は抜く。
どこにそんなに残っているのかと思うほどの力でベッドの柵を乗り越え逃亡しようとする。
点滴の針を外した腕から血をだらだらと流しながら廊下を徘徊し、やがて呼吸困難になってへたり込む。
先が見えない状況で居た堪れない気持ちは良くわかる。
実際のところ最期がいつ来るのかを待ち続けている父を見ているのは本当に辛い。
夜間にそういう様を数回繰り返すのだが、最後はこちらも抑制することもせずにそのままにさせてやった。
こちらも寝不足でまともな状況ではなかったと思うが、このまま酸欠状態で逝ったほうが父も楽になれるのではと思うのだ。
さすがに病院でそんな状況を許してくれるわけも無く看護師が飛んできて、また車椅子に乗せてベッドに戻す。
そうして長い夜が明けるのだが、母と代わり家に戻ってもやはり夜のことを思い出しなかなか疲れが取れないで病院に行く時間はやってくる。
そして昨日、昼からまた病院に顔を出そうと思ったが、さすがに寝坊して夕方になった。
妻と夏樹を連れて病院に行ったら、父は昼間も寝ないで「いつになったら死ねるのだ」と怒鳴り散らしていた。
眠剤を点滴に入れると呼吸困難を来たす恐れがあったため投薬を止めていたのだが、さすがに状況の報告を受けた主治医も今晩は入れてみますかと指示を出す。
見舞いの親戚が来ても心気的で暴力的な発言を繰り返す父に気持ちを滅入らして帰るばかりだ。
そして夏樹が父に見せようと書いた絵を差し出したとき、さすがに私の心にもガラガラと音を立てて壊れる音がした。
父は夏樹の絵を見るわけでもなく、取り上げて夏樹の目の前でビリビリと破り捨てたのだ。
瞬間であったが、そのときの父の人格の崩壊した顔と夏樹の放心した顔がしっかりと見えた。
3歳の夏樹にとって、さすがにそんな仕打ちを受けたことは今まで無く、それを実の祖父から受けるというのは衝撃的だった。
いかに病の為せる沙汰とは言え、夏樹の受けた傷を消すことは出来ないだろう。
私は夏樹を抱きかかえ、今日は泊まれないと母に言い残して家に戻ってきた。
昨日は本当に悲しかった。そんなときは本当に酒で誤魔化したくなることが良くわかった。
今朝は町内の側溝清掃の日。
本当だったら休ませて貰うつもりだったが、朝からしっかり務めることが出来た。
これからなかなかやれなかった家庭菜園を始めよう。
今日は病院のことは母と弟に任せることにしよう。なにかあったら電話はいつでも繋がる。
死ぬというのは本当に難しい。
父を見て、自分は事故かなにかであっという間に逝きたいと真剣に思った。