建築家は市民の期待に応えているか

先週の火曜日に東京のTEPIAホールで行われたJIA(日本建築家協会)主催のシンポジウムのメインテーマです。
井形慶子さんの講演の後、建築士会会長の富士本昌也氏、東京理科大で小布施の街づくりを手がけた川向正人氏、伝統工法を行っている棟梁の和田勝利氏を加え、コーディネーターにJIA次期会長の芦原太郎でパネルディスカッションを行いました。
 
 
日本においては建築士制度がありますが、世界でいうところの建築家という職能ではなくエンジニアの位置づけです。
JIAでは建築家という職能をきちんと公的なものにしようという運動を進めており、ようやくUIA(世界建築家会議)を東京に誘致したところ。
これを機会に「建築家」をもっといろんな人に知ってもらおうとシンポジウムを開催しています。
まずは建築家の担う社会的役割はなんなんだろう?
日本における建築家とは?
定義付けからきちんと理論武装していかないといけません。
 
口火を切ったのは川向先生。
市民の期待というが、そもそも市民とは、期待というのは何なのかを定義する必要がある。
市民というひとくくりで考えるにはあまりに多様性である。
その多様性の一つ一つに応える事は困難だし、それに翻弄されるようでは御用聞きの業者ではないか。
建築家に求めるのは10年以上先の社会が見えるかということ。
 
和田棟梁
大工の社会では 大工を筆頭に引頭、長(おさ)、連(れん)、見習いという序列がある。
大工はプロジェクトのリーダーで人を動かし、引頭は金を動かした。長は時間と物を管理し、連は職人を動かせないがようやく仕事は一人前、見習いは修行である。
戦前までそういう形で動いていた建築の世界を基準法と建築士法が駄目にした。
現在大工と言われているのは連である。
建築士もよく判らないが、建築家はもっとわからない。
 
藤本氏
私はコミュニティアーキテクトを提唱したい。
建築家というと華々しく活躍しているトップアーキテクトを思いつく人が多いが、実は圧倒的に多いのは地元に根ざした建築家である。
その建築家がきちんと地元に密着し、事業論、計画論、空間論による総合戦略を提示できなければ駄目。
空間論だけ論じているうちは誰からも認知されない。
小学校区くらいのコミュニティを上手くまとめる役割を担って欲しい。
 
井形氏
自分は素人だが、どうも日本は素人とプロが繋がりません。
正直、建築家に頼むとお金が高くなってしまうのではないかとか、自分の家ではなく、建築家の作品になってしまうのではないかという心配ばかり。
はやり認知度は低いと思う。
 
各パネリストの話を要約するとこんな感じ。
 
川向先生の話はまったくその通りで、市民そのものがあまりに捉えどころがありません。
先の社会が見えるスキルは重要。
藤本氏のほとんどは地元に根ざした建築家であるというのも同感。
問題ははやり日本国内における制度なのかもしれません。
建築士制度以前の大工と言う身分が実はコミュニティアーキテクト?
ただ、あまりに根ざしすぎて10年先は見えていないような気もします。
もっと地域に情報発信しろ、もっと地域に入り込めということかなぁ?
 
私自身、ちいき住宅工房を提唱したり、HPなどでいろいろ発表していますが、まだまだ足りませんね。
もっと頑張らないといけません。
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