過程を知ることの重要さ

今回の福島原子力発電所事故で日本人は何を学ばないといけないのでしょうか?
私たちはこれから何十年単位で、放射能という見えない恐怖、汚染食物、電力不足から家族を守っていく生活を強いられます。
急性期である今はリスクを排除する、我慢するといった対策ですが、いつまでもそんなことを続けてはいられない。
私たちの生活そのものを見直す必要があるのではないでしょうか?

今回の事故でまざまざと見せつけられたことに「私たちは過程を知らない」ということがあります。
普段何気なく電気というエネルギーの恩恵を得ていた訳ですが、その電気がどういう風に作られているのかということについて、あまりに無頓着すぎました。
その無頓着さがいつの間にか、こんな小さな島国に54基もの商業発電用原子炉を作ってしまっていたなんて、そしてそれを推進する原子力ムラによって他の発電方法が排他的な扱いをされていたことをどれくらいの人が認識していたのでしょう。

食の安全についてもそう。
地産地消と言いながら、なんてことはない、最終生産地が地元であるということだけで、そこまでの過程なんてまったく気にもしませんでした。
結果、放射能に汚染された稲藁は地元新潟に運ばれ、牛がそれを食べて汚染される。
表面化しているのは氷山の一角。
先日も近所のスーパーで産地表示に疑問を持ちましたが、もうすでに県内産だからということが安全の証にもなっていない現実があるのです。

私の事務所では「新・森の生活」プロジェクトを立ち上げていますが、ここでは自分で出来ることをあえてお金で解決しない生活を提唱しています。
世の中の多くのことは、特別なスペシャリストがやっているわけではなく、自分とは変わらないごく普通の人が時間をかけて行っているだけ。
私たちはその時間をお金で買っているだけです。

さて、原発事故以降の日本はどうなってしまうのか?
農産物の海外への輸出はかなり厳しいでしょう。
また事故収束のための国民負担も重くのしかかってきます。
とりあえずの円高を背景に海外へ拠点を移す大企業も増えていくでしょう。
(いつまでも円高であり続けることは無いと思います)
高齢者の比率はますます増え、子供は被曝により、今後急速に癌やその他の疾病にかかる可能性が出ています。

実際の所、資産があるのなら個人も海外へ拠点を移した方が良いのかもしれないぐらいですが、中流以下の大多数を占める国民は海外に脱出しても英語が話せるわけでも無く、そこでの生活は困窮するだけでしょう。

小さな子供を抱える親は何としても子供を健康な大人に育て上げないといけない。
日本が存在しえる唯一の方法だから。
そして可能な限りの教育の場を与えてやらないとグローバルの波に飲み込まれてしまいます。(私たちは海外に出れなくても子供にはワールドワイドに生きて欲しいと思います)
それでもどんどん小さな国になっていくでしょうが、それは再生のための必要悪なのかもしれません。
海外へ脱出できない家族がどうリスクを回避していくか。
少なくとも海外標準まで危機管理レベルを引き上げなければなりません。
今までは信じられた水道はもやは過去の話です。
空気も水も自分で危機管理するのは世界では当たり前。

そして個人の自給力を上げる。
今後の日本経済が右肩上がりに成長するとは思えません。
アメリカやEUの財政破綻だってリアルな話。
いつまでも給与(円)に100%依存しているのはリスクが高すぎます。

「新・森の生活」プロジェクトでは街での自給自足生活を提唱しています。
本当に安全な食物が欲しかったら、少なくとも野菜は自給自足出来ます。
朝夕のほんの1時間程度で野菜が出来るまでの過程を知り、安全な食を家族に与えることが出来ます。
エネルギーだって投資は必要ですが、多少なりとも自給していけるでしょう。

自給自足は商売ではありません。
自らをもって、自らを足ること。
余剰なほど作り出す必要も無いし、足りなければその分だけでの生活をすれば良い。

これからの日本人は成果物をお金を出して買うだけではなく、その過程を知り、自分で出来ることは自分でやる。
そして足るを知るということが重要になってくるのだと思います。
もうちょっと自分で動いてその過程がどうなっているのかを学習する必要を感じます。

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