都合の良い日本語、不都合な日本語

日本語は難しい。
ひとつの事に対していくつもの言葉が存在する。
それは日本の文化でもあり、言葉によって多彩な情感を表現できる。
しかし、ここ1ヶ月間を見ると、その日本語の特性が裏目に出てしまっています。

原発事故も当初は「事象」であって「事故」では無いと言い張る。
「直ちには健康に影響は無い」などは今年の流行語大賞に選ばれるのでは無いかと思われるほど毎日聞かされた。
「臨界」というのも良く判らない言葉だが、中部大学の武田先生のブログでは核融合をちょっとづつ行うことが「臨界」であり、制御不能になると「核爆発」。
ならば「被爆」でも良さそうだが「被曝」ですとTVは訴える。
「低レベル」の放射能汚染水というのもあやふや。
低レベルとは言っても直ちに健康に影響がある。
基準値の何万倍から比べたら低レベルという相対性だけなのに何故か低レベルと言われて安心する。

一般の人が直感的に理解できる言葉をあえて訳のわからないあやふやな言葉に置き換えて、意味を薄めている。
役人はこうした事に本当に長けていると思いますが、どうしてその能力を事故の終息に向けることが出来ないのか。

考えてみれば昔から一般人はそうやってだまされ続けてきた訳で、あれだけ健康被害を出してきた「農薬」は今でもしっかり使っているが「低農薬」とか「消毒」という言葉にすり返られ、なんとなく安心な感じがするが販売しているところへ行けば鍵が掛かったキャビネットに収まる劇薬である。

受け取り手も問題だ。
不都合な日本語よりも都合の良い日本語を好み、少しでも現況をやわらげたいと願う。
こんなとき多彩な日本語を駆使して説明するのではなく、客観的な数値で示して欲しいと思うのは私だけでは無いはずだ。
もう都合の良い日本語で説明するのは止めていただきたい。

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