年の初めからなんですが...お年玉

 今日から仕事始めの人は多いと思います。
今年は元日が日曜日だったのでなんだか短くてあわただしい休暇だったのではないでしょうか?
我が家でも晦日から元日にかけては私の実家で過ごし、元日から2日は妻の実家に年始に行きました。
新潟県は年末の大寒波も収まり、比較的温暖な年明けを迎えることが出来ました。
2日の朝も近くにある温泉施設にいって、ゆったりとした正月を堪能することが出来ました。
ある一点を除けば...
 
 正月といえばお年玉ですが、妻の実家関係の子供たちは上が4歳でまだ自分たちでお金を使うという年齢ではありません。そこで年末に一人500円と協定を結んでいたようです。
うちの子を含めてあとは1歳前後ですから、あんまり最初から気合を入れてしまうと大変です。
お金の価値がわかるようになったら教育的な意味を含めてきちんとあげても構いませんが、まだまだ何かをもらえるという事に喜びを見出している程度ですから金額が問題ではありません。
 
 年始にお邪魔すると、さっそく妻の一番下の妹がお年玉を我が息子(1歳2ヶ月)にくれました。それに便乗するように「袋を用意していなかったから、私も一緒にさせてちょうだい。ちょっとこまかいけど」とか言いながらお金をジャラジャラと出してきたある親戚のA子さん。まあ、そのときはちょっといやな感じはしたけど、ありがたく頂いておきました。
家に戻り、我が息子はどれくらいお年玉をもらったのかと袋を確認すると、例の袋から小銭が出てくるわ。500円玉1枚、100円玉4枚、50円玉1枚、10円玉4枚、1円玉5枚で計955円。
なんとも微妙な金額です。
500円玉は一番下の妹でしょうから、残りの455円がA子さんということになるのでしょう。
もともと親戚関連ではちょっと社会性の無いと感じていたA子さんですが、これってどう思う?って妻に投げかけたところ、「金額は問題じゃないんでしょ」とそっけない返事。
まあ、自分の親戚をけなされたようで気分が悪いのだろうけど、私は別に金額がどうの言っている訳じゃないんだよ。
4人しか居ない子供(うち1名は我が息子)へのお年玉でしょ。
年末に協定結んでたんでしょ。
普通、お年玉の袋をちゃんと用意するんじゃない?
お札を用意するとき、うちだって新券に代えてもらったりするじゃない。
つまり袋が用意されていないというのは、我が息子へのお年玉は想定されていなかったということだろうし、455円の小銭たちの意味するところは、財布の小銭の整理みたいなもんじゃない。
心なんだよ、ココロ!
かつて日本人が海外旅行し始めたばかりのとき、ベッドメイキングのチップにしょうもない小銭積んで財布の整理してたけど、ずいぶん相手を蔑んだ行為でしょ。
うちの子にされたのはつまりこれと同じような蔑みなんだ。
これってやっぱり親として人として怒らないといけないんじゃないかな。
 
 せめて協定どおり入っていたら、本当に小銭が無かったんだなと苦笑するぐらいだったかもしれない。
もともと人間的にもそんな感じの人だし。
しかし、たった5円でも人間性はしっかり出るものだ。
やり方はいくらでもあったでしょ。例えば千円札だして、妹の500円を貰えば、「これ二人から」できれいに収まった。
つまり、その程度の配慮も出来ないということが露呈した訳だ。
まあ、ぼやいてばかりいてもココロが寂しいから、反目教師と思って、自分の心に刻み込むことにしよう。
 
 おかげでちょっと夫婦間もぎすぎすした時間が出来てしまった。
翌日目が覚めて改めて考え直してみた。
彼女はあえて「5円」というキーワードを投げかけたのではないだろうかと。
5円が足りない。
5円が無い.....そっか「ご縁が無い」
新年早々  「ざぶとん 全部持って行っちゃいなさい!」
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