父親の入院

1ヶ月前にようやく退院した父がまた入院した。
自宅のベッドから落ちて腰を痛めたのだ。
私は建築士講座が追い込みで病院に送ることが出来なかったので弟が実家に行ったが、とても動かせないということで結局救急車を呼んだ。
あとで病院に駆けつけたが、骨には異常はなく打撲程度だろうということだった。
問題はなぜベッドから落ちたかということだ。
先日の入院以来、どうも認知症の気があるような気がしたが、病院では一時的な症状だろうと言うことだった。
しかし、退院しても会話がどうもちぐはぐで母親もどう対応してよいものやら悩みながら生活していた。
まだらなので普通に会話をするときはちゃんと会話として成立するが、だんだん話がなんのことかわからなくなってしまうのだ。
今回の事故はきっとそれに関係しているのだろうと思った。
結局入院することになったが、前回同様大部屋で夜中に騒ぎ、個室に移された。
最近忙しく、あまり家には顔を出さなかったが、久しぶりに見て父の症状は明らかに加速していると思った。
もう何も会話として成立しない。
自分の世界の中で生きているようだ。
そんなことないと否定するとそれが嫌なようで肯定するまで同じ話を繰り返すが、そういうやりとりはすぐに忘れてしまうのだ。
腰の痛みが取れないのでトイレに行くことが出来ずにオムツとカテーテルによる排尿だが、本人はトイレに行くためにベッドから降りようとしてしまう。
さすがに24時間付きっ切りということは出来ないのでベッドの脇はすべて柵が回された。
夜中に柵を乗り越えようとしたのでベッドを壁に寄せて降りれないようにしたが、今度は壁に配置されている機器をはずしてしまう。
点滴の針も抜いてしまうので拘束着とは言わないがある程度自由を奪う服を着させても良いかと母に同意を求めたそうだ。
もし認知症ならそれに対応した行為は必要かもしれないが、現状ではそれがはっきりしない。
母親も毎日泊まって疲れているが、私が付き添ったところで、前回のごとく結局は収集がつかなくなるのは見えている。
今回は前回にまして状況は厳しい。
ようやくリタイヤしてこれから第二の人生を迎えると思った矢先だ。
父親の人生もそんなに平坦ではなかったが、後半にかけて生きる気力は子供の私から見てもあまり感じられなかった。
そんな父親が嫌で家を出たし、まったく反対の人生を歩むようになった。
こんな状況になって父親の姿を見ると、父は自分の人生に満足したのだろうかと思う。
満足してないからいろいろ脳裏に隠していた意識がいまさら覚醒するのだろうか?
本当はやりたかった事も出来ずに我慢していたのかもしれない。
病院で押さえつけるより自由に出来たら、それは危険なのかもしれないが自分の自由な選択として満足出来るのではないだろうか?
はやく父の状況を専門医の声として聴きたい。
このまま病院に入院し続けることは良いことではないと思った。
カテゴリー: つぶやき パーマリンク

コメントを残す